« 2006年3月 | トップページ | 2006年5月 »

2006年4月30日

見渡す先は 雪形のアルプス~♪

雪形=ゆきがた、と読みます。

雪形とは、”雪解けの季節に残雪が山肌に描き出す模様”のことで、雪国では、古くからこの形を観察し、名前を付け、農耕の時期を知る目安として利用してきました。

現れる時期は、丁度今ごろから、7月くらいまで、雪解けの黒い岩肌が形を作る”ネガ型”から始まって、残雪の白が形を作る”ポジ型”が、だんだんと、が増えてきます。

その種類は本当に様々で、”種まき爺さん””常念坊”などの人形、”駒、馬、獅子”などの動物、”鍬や鎌”などの農耕具などがあり、雪形の名前がそのまま山の名前になる場合もたくさんあります。

気象情報の発達していなかった昔は、こうした自然の変化から、暮らしの敵期を知り、それぞれ生活に役立てていたのですね。

さて、そんな雪形も、そろそろ見え始める春本番の信州に、明日から、またまた帰省します。

今回は車で帰るため、ついつい荷物が多くなって大変!準備で既にへとへとだよ~(><)。一週間ほどで戻りますので、帰ってきたら、またよろしくお願いします。

みなさんも、どうぞ楽しいGWをお過ごしください。それでは、行って来ま~す。

| | トラックバック (1)

2006年4月28日

咲くよ。

0428b_2

スパティフィラムの花が、いよいよ出てきました。いくつかある鉢が、一斉 に花をつけ始めています。

これからしばらくの間、ニョキニョキと伸びてくる花を楽しめそうです。

0428c

今日の天気は、まさに自転車日和。これからちょっと買い物へ。

来週はまた信州へ帰省します。松本近郊は、ちょうど今、桜が満開。もう一度花見ができるかな?

| | トラックバック (0)

2006年4月26日

『辿り着きたい場所』

今日は、この曲の歌入れをしてきました。久しぶりにMTRとプリアンプを担いでスタジオにこもりましたので、ちょっぴり疲労しましたが、でもやっぱり歌うのは楽しいです(^0^)。

この曲、作ったのは昨年の秋のこと。とある出来事があって、自分の気持ちが動かされ、フワっと歌詞と曲が湧いてきて、気づいたら、出来上がっていた、そういう一曲です。

いつも曲作りに時間のかかる私にしてはとても珍しいです。

これからも歌を続けていこう、と改めてそう思った時に生まれた曲で、自分にとって、一つの節目と感じている曲でもあります。

で、実は、この曲を、ある場所でどうしても歌ってみたいと思っています(武道館じゃないよ♪)。

これは、自分の中の、ささやかな目標の一つです。まずはそのための一歩として、音源を作っているところです。そして、うまく出来上がったら、そのままCDにも入れるつもりでいます。さて、どうなるかな?

『辿り着きたい場所』

遠い 遠い 旅は続いてますか?
辿り着きたい場所はどこですか?

あなたの 残した 柔らかな道は 
足りない幸せ教えてくれますか?

悲しいとき見せる笑顔
うれしいときこぼす涙

みんな あなたが 今日まで生きてきた
その大切な証だから

立ち止まることなく 歩き続けて下さい
辿り着きたい その場所へ


長い 長い 旅の終わりはいつも
辿り着きたい 場所を知っている

あなたの 描いた 夢の続きは今も
懐かしい風の唄を待っている

苦しいことだけ 数える日々も
いつか笑って話せるように

ただ あなたが そこに生きている
それが何より 大切だから

諦めることなく 歩き続けて下さい
辿り着きたい その場所へ


悲しいとき見せる笑顔
うれしいときこぼす涙

みんな あなたが 今日まで生きてきた
その大切な証だから

立ち止まることなく 歩き続けて下さい
辿り着きたい その場所へ 

その場所へ

| | トラックバック (0)

2006年4月25日

気圧センサー。

今日、出先で、突然空が暗くなった。と思ったら、いきなりの雨。土砂降りだ。折りたたみ傘持って出かけてよかった(^0^)。

雨の上がる合図、それは鳥の鳴き声。

まだシトシト降っているように見えても、空がどんより曇っているようでも、あちこちから鳥の鳴き声が聴こえ始めたら、間もなく雨は上がる。間違いない。

鳥はどこで察知するのだろう、雨上がりを。

気圧を感じるセンサーがあるのかな。渡り鳥も、季節風に乗るため、気圧の変化を察知して、飛び立つって言うものね。自然を相手に生きていくためには、いろいろな本能が備わっているんだね。

その昔、会社勤めをしていた頃、連れ立って、”飲み屋の渡り鳥”になることも、たまにはあった私ですが、いまでは、すっかり落ち着いて、心の気圧も上々でございます。

ま、なんだかんだと、それだけ大人になったってことでしょうかね・・・。

| | トラックバック (0)

2006年4月24日

変えるもの、変えないもの。

Sibasakura1_1

私は、根はとってもズボラな人間であります。よって、一度選んで決めたら、ず~っとそのまま変えることがない、というものがたくさんあります。

例えば、PCの壁紙などは、一度設定したら、ほとんどいじることがありませんし、携帯の着信音、待ち受け画面、ストラップに至っては、次の携帯に変えるまでの何年間、ほぼ変更することがありません。あと、髪型なんかも、ずっと同じまんまで、他にも挙げたらきりがありません。

これは、“気に入っているから変えない”、という場合と、“興味がないから変えない”、というものと両方ありますが(”夫”はどっちだ?!)、いずれにしても、ある部分に関しては、とことんズボラを通しています。

その一方で、結構ちょこちょこ取り替えたくなるのが、室内のあれやこれやです。

カーテンとか、テーブルのクロスとか、座布団カバーとか・・・そんなものは、季節が変るのを待ちわびて、とっかえひっかえするのが趣味でもあります。

お陰で、ただでさえ狭い室内には、待機中のそういったグッズがあちこちに押し込まれることになり、もういい加減これ以上増やしてはいけない!と思いつつ、また同じようなものを買い込んでは、時々押入れを開けて、それを眺めて一人ニタニタしたりしています(*^m^)。

今のような季節は、その”室内模様替えモード”にがっちりスイッチが入ってしまうため、自制するのが大変です。

こだわるものこだわらないものは、みなそれぞれ違っていて、おもしろいですね。

ちなみに写真にちょっとだけ写っている自転車。

これは、結婚当時に買った、安~いママチャリで、使い始めてもうすぐ14年になります。途中、なんどかタイヤは交換しましたが、いまだ現役バリバリで、これをシャカシャカ~(あ、どこかで聴いた事あるぞ♪)っと漕いで、けっこうな遠出もします。すでに、幾多の風雨にさらされ、サビもまた愛おしいかと(^^;)・・・。

なんて・・・そんなズボラはやっぱりいけませんので、明日には、サビ取りお手入れを決行しようと思っているところです。

そりゃ結構(^0^)♪なーんて言って喜んでいる私は、もうケッコウ?ということで、明日も晴れるかな?

| | トラックバック (0)

2006年4月21日

『Visions in Time』そしてOTODA♪

Takemitsu

今日は、なんだか夏を思わせるような空が広がり、季節はまた変り始めているのかな、と感じる一日でした。

昨日、思い立って、東京オペラシティーで催されている、武満徹・回顧展『Visions in Time』に行ってきました。初台の駅に降りたのは、本当に久しぶりで、”一人ランチ”などもして、なかなか楽しいひと時をすごしてまいりました。

”武満徹”、という作曲家を、私はつい最近まで全く知らず、もちろん、音楽も聴いたことがありませんでした。

でも、自分の歌の活動を通じて、折々、その名を見聞きするうちに、”その作品数の多さ、壮大さ、活動の幅広さ”、また”様々な絵画、文学、造形との関りの深さ”などを知り、頭の片隅で、少しずつ、その興味を膨らませているところでした。

なので、昨日の回顧展は、私にとって、”武満徹”、という音楽家の生涯と作品を、駆け足ながらも、一つの流れとして知るという意味では、とてもよい導入の機会になったと思います。

武満氏は、たくさんの随筆を出版していますが、その中で、自分と音楽との関係を、”作曲”でなく、”協同”という言葉で表したり、”音楽とは、人が自由になるために必要なもの”、というようなことを書いています。

また、“自分の音楽は楽譜の上に完結するものではなく、むしろそれを拒む意思だ”とも書いています。

武満徹という人物は、おそらく、その交友関係の分野の広さ一つから推しても、作曲家、ということだけでは括れない、ある種の表現者、というような視点に立って、常に音楽と関ってきたのかな、とそんなことを感じました。

なんて、そんな、もっともらしいことを書いている私ですが、ともかくも、まだ何一つ、その作品を聴いたことがありませんので、これから少しずつ、まずは身近な映画音楽などから聴いてみようかな、と思っています。

ところで、昨日の回顧展では、武満氏の”御代田の自邸アトリエ”が再現されていたのですが、これが、とても印象的でした。

年季の入った、YAMAHAの木目調アップライトピアノと、その左脇に置かれた、1メートル四方の机が、実に作業のしやすそうな、心地よいバランスを保ち、そこはかとなく、人肌も感じられ、眺めているうちに、だんだんと優しい気持ちになりました。

ただ、記された手書きの譜面の恐ろしいほどの精密さや、きちんと削られ、きっちり並べられた机上の鉛筆などから、この人の頭の中が、いかに緻密に整理されていたのか、ということも強く感じました。

私が生きているうちに出会える音楽は、本当に限られた一握りに過ぎないのですが、こうして、知らなかった人物を知る機会を得られるのは、やっぱり素晴らしいことだと思います。

さて、さてさてさて~~!!!決まりましたです~!!!いよいよOTODAの日程が♪

5月28日(日)に決まりました!今回は”さいたま~ずとシンドウアツコ”という形で、2組あわせて45分間、15時15分からお届けする予定です。

もちろん、さいたま~ずさんとのセッションもあります。詳細は、近日HPにアップしますので、どうぞ見てくださいね。また、お時間の都合がついたら、来月、是非遊びにいらしてください。楽しみにお待ちしています(^0^)/。

| | トラックバック (0)

2006年4月19日

初心。

以前からお世話になっている方のブログで、CD『初心』の写真と素敵なコメントを載せて下さっているのを、今頃になってみつけた。

時々覗いていたはずなのに、つい見落としていたんだ。なんてことだ!

とってもとってもうれしかった。『初心』と一緒に写っているのは、ガラス越しに見える、春まだ浅き、高原の雪景色。

今はきっともう、色とりどりの花が、たくさん咲き始めている頃だろうな。

ありがとうございます(><)。

こうして、一年に一回でも、五年に一回でも、ふと何かの折に触れ、自分の作ったCDを思い出して聴いていただけること、それが何より本当にうれしく、そして励みになります。

よーし!新しい音源も、がんばろう~!!

| | トラックバック (0)

2006年4月18日

『みやこ忘れ』

Miyakowasure_1 今日は初夏のような陽気でした。カラッと晴れた空に、洗濯物は良く乾いたけれど、お陰で、お肌もパリパリです(^^;)。

先日、そんな”初夏の歌”が一つ出来上がりました。

生まれそうで生まれない・・、じりじりとした時期を経て、随分遠回りもしたけれど、ようやく形になりました。不思議なもので、生まれる時は、実にあっという間なのですよね。

ところで、ある方のブログに書かれていたのですが、『人の書く文章、そして作る音楽には、その人の”言葉使い”ではなく、”ものの見方、生きてきたその有り方”が表れる』。

本当にその通りですね。

自分で曲を作るようになって、そして、他の人の作るいろいろな歌を聴くようになって、それはとても強く感じます。

選んだ言葉ひとつひとつに、もちろんその人のこだわりや、考え方があるわけですが、仮に同じ言葉を使って曲を作っても、生まれる作品は、作り手によって全く違った世界になる、それがオリジナルなんだと思います。

描きたい世界が自分の中にあってこそ曲は生まれるのであって、たとえ誰かの何かの曲を真似たところで、その人の”生き方やものの見方、感じ方”までは、真似できない。

結局、自分自身を隠すことは出来ないのです。だからこそ、本当に難しくて、私にとっては一曲一曲が、まさに生みの苦しみです(◎o◎)。

今度の曲、題名は『みやこ忘れ』(またまた演歌みたい?!)と言います。紫色の花の咲く、あの野草です(写真は植物園のHPからお借りしました)。

5月のOTODAで歌えたらいいなと思っています。間に合うかな。ということで、OTODAの日程、早く決まるといいな~!!

| | トラックバック (0)

2006年4月17日

あぁ、自治会長。

我が家は、とってもつつましやかな集合住宅の一角に住んでおりますが、ささやかながら、ここにも ”自治会”というものがありまして、これを中心に、年間の行事や、会計が執り行われることになっています。

で、毎年持ち回りで、各役員が割り当てられるのですが、なんとまぁ、我が家は昨年、会長に当たってしまいまして、平成17年度は、一年間”自治会長”をやっておりました。

で、この4月に、ようやくその任を終え、次の会長に引継ぎをしまして、いよいよ、やっとこさ肩の荷が降りた、という感じです。

ま、大変だったのは、夫の方で、私は大して何もやってないんですけど、それでも、警察や、市役所や、小学校、中学校、近隣の福祉施設など、行政との窓口になって、ちょこちょことした雑用が結構ありました。

ともかくも、特に大きなトラブルや事故もなく、一年を無事終えたことに、今は心からほっとしています。

近所づきあいの希薄になる昨今、こうした自治会があること、それから、周囲にどんな家族が住んでいるのか、ということを、みんなで把握し合っている、と言うことは、面倒なこともありますが、やっぱり心強いものです。

私なんて、たまに夫が出張でいないときなどは、それこそ、両隣、そして上階にも下階にも、顔見知りの家族がいて、いつも通りの日常を過ごしてくれている、ということが、何より心強く、どったんばったん、子供の走り回る音が聴こえると、それでもう安心、思い切り高イビキをかけるわけです(^^;)。

近隣同士、付き合いがなければ、味気ない分、気楽で、割り切って暮らせる身軽さはあるでしょうし、一方、こういう昔ながらの集合住宅では、安心な分、一斉清掃やら、行事やらと、いろいろ面倒なこともあって、どちらも一長一短だと思います。

いずれにしても、郷に入っては郷に従えで、そこにあるルールを受け入れて、なるべく快適に暮らせるよう、互いに協力し合うのが、社会生活ってものでしょうか。

ともあれ、自治会長は、一年間十分経験しましたので、お疲れ様でした、と自分で自分を褒めてあげることにしましょう(*^m^)。そして、どうかもう回ってきませんように!

| | トラックバック (0)

2006年4月14日

It is a progress.

昨日は、自作曲『Karappo』の楽譜を書き直しました。一年ほど前に、一度作成したものがあったのですが、今回、新たに使用する機会を得たため、見直してみたところ、やはりおかしなところがたくさんありまして、手を入れることにしました。

改めて書き直してみて、自分のコードのつけ方が、今までどんな風におかしかったのか、ということがようやく分ってきたように思います。

私はピアノで曲を作り、アレンジをしますので、どうしても、そこからコードも拾うことになり、所謂、手癖(?!)、弾き癖(?)というものに惑わされてしまうのですね。

つまり、一つの和音を、毎回適当に右手・左手で、分散させて弾いているのですが、それをコードにしようとする時、ついつい左右に分けたままの状態で考えようとしていたのです。

むむ、うまく説明できないな。

簡単な例を挙げれば、“Bm7”というコードを、敢えて“D/B”と表記したりすることです(左手でベースのBを、右手で和音のDを弾くからね)。これが例えば、“D/E”というコードなら、意味があるけれど、“D/BはイコールBm7”ですよね(あってる(^^;)?)。

でも、ピアノでは、左手と右手は大抵、離れ離れのポジションで弾くため、私の耳と頭では、それが一つのコードとして、なかなかまとまらなかったわけです。

今のはとってもシンプルな例ですが、”もう少し複雑に、一つの和音を左右で分散させていたり”、”右手と左手で、異なるコードを重ねて鳴らしている場合”など、それを一つのコードで表すことがとても難しく、鳴らしている音を、隈なく網羅できるようにと、あれこれアルファベットや、9,11なんていう数字をくっつけて、それらしくごまかして表記していたわけです。

でも、一年経って、こうして見直して、やっと、コードというものの、意味が、少しわかってきたような気がします。

口ではうまく説明できないけれど、多分、10本の指で無作為に鳴らしている音も、もともとは基本のコードから派生してできているのであって、基本の音さえちゃんと鳴るように表記すれば大丈夫なんだ、ということが、なんとなく、感覚としてわかって来ました。

ま、いずれにしましても、私の曲作りが、根拠を持たぬ、茫としたものであることが、事をややこしくしている、ということに変りはありませんが・・・・。

ということで、2006年リニューアル版『Karappo』は、昨年作った楽譜に比べると、コード表記がとってもシンプルになりました!

That's a progress(^0^)♪

さて、今日はその、できたてほやほやの楽譜を、ある方の元へ投函してきました。明日には着くかな。

| | トラックバック (0)

2006年4月12日

スタジオミュージシャン。

”スタジオミュージシャン”という職業があることを、とあるシンガーソングライターのブログで初めて知りました。

プロの楽器演奏者で、主にレコーディングのために、単発でスタジオに入って、いろいろな音源作成のサポートをする人たちをそう呼ぶそうです。

うむむむ、なるほど。プロの音源というのは、そうやって、様々な分野から、精鋭を集めて、すごい機材を使って、お金も時間もかけながら、作りこんで行くものなのですね。

でも・・・。

見方を変えると、一方で、そうしたスタジオミュージシャンの演奏というのは、ある程度、割り切ったものにならざるを得ないのかな、とも思います。

その日初めて会う歌い手の、その日初めて見聞きする楽曲を演奏するわけですから、その楽曲に対する”好き嫌いの感情”というものはあまり湧かないのだろうし、それが、仕事である以上、限られた時間の中で、求められる成果を、ともかくもあげなくてはならない。

どんなことでもそうだけど、好きなことを仕事にするということは、楽しいこともある一方、大変なこともたくさんあるのだと思います。

いろいろな場面で、自分の中に葛藤が生じて、きっと苦しかったり、悔しかったり、悲しかったり。割り切りたくない自分と、割り切らなくてはいけない現実。

それをも乗り越えて、やり遂げていくには、真の実力と忍耐がないときっと続かないんだろうと思います。

だから、そうした力と忍耐を持たぬ私は、この先もずっと、歌を仕事にする予定はありませんです(*^0^*)♪・・・・ってか、その前に、誰も雇ってくれないから、要らぬ心配なんだけどね・・・・・ρ(--、)。

| | トラックバック (0)

2006年4月11日

写譜ペン。

今日は、とってもチカレタナ~。

あれやこれや、やっきになって、楽譜を書いたり、今までの曲にコードをつけたり、ピアノとテーブルの間を行ったり来たり。

そしたら、なんとテーブルの上に、消しゴムのカスがいっぱい(◎o◎)。これから、ここでご飯食べなくちゃいけないのに・・。

私はいつも楽譜を書くとき、まずは鉛筆で書いて、それを製図用のペンで清書しているんだけど、実は、楽譜を書くため専用の”写譜ペン”というものがあるらしい。なんでも、万年筆の仲間だとか。どこに売っているのかな~。いくら位するのかな~。使ってみたいな~。

でも、需要が減ったため、もう生産されてないという噂も聞いたので、今はもう手に入らないのかもな。となると、ますます欲しくなっちゃうな~。

どんなことも手作業には根気がいるけど、出来上がったときはうれしいし、愛着が湧くもんね。さて、明日も続きをがんばろー。今日のところは、お腹も空いたので店仕舞い。

| | トラックバック (0)

2006年4月10日

『おかわり』、それはだるま食堂にて。

Daruma先週末、国分寺で催された、ひろあさん主催の『アコースティックコンサート』に遊びに行って来ました。そして、あゆっち&大黒屋の《だるま食堂》の世界に、頭の先から足の先まで、どっぷり浸かって参りました。

だるま食堂のライブは、とにかく見なくちゃわからない!という楽しさと、懐かしさと、暖かさのエンターテイメントです。

”三角巾に割烹着姿”のあゆっちと”ゴジラの着ぐるみ”に包まれた大黒屋が登場すれば、客席からは、たちまち飛び交う怒涛の掛け声。

二人に間に、敢えて脈絡を持たせぬ、このコスチューム!は、深い計算なのか、はたまたただの思いつきなのか・・・?!目を白黒させていると、聴こえてくる歌声は、なんだかとっても美しく、そして、心はいつしか昭和のあの日へ・・・。

あゆっちの澄んだ歌声と、味・コクたっぷりの、大黒屋のギターと歌声は、ここでも、敢えてか必然か!そのまとまりを嫌うかの如き、絶妙なコンビネーションが非常におもしろいのです。

ともかくも、聴いてみて下さい!としかいいようのない、これぞ《だるま食堂》というライブなのです。

で、この日は、《だるま食堂》にとって、自主制作CD第一弾『おかわり』の発売日でもありました。仙台と東京という距離を越えた録音の苦労、製作の苦労をありありとにじませる、渾身の一枚です。私はもちろん購入し、早速聴きましたが、ここにも、やっぱり一言では語り尽くせない、”だるま”の世界がぎっしりと詰まっていました。

あゆっちと大黒屋のショートコントが曲間に挟まれていて、その臨場感がすばらしく、全体がきちんと一つのストーリーに仕立てられている。クスっと笑わずにはいられない、二人の掛け合いが胸をくすぐります(*^^*)。

ともかくも、”こだわって、こだわって作りました”という大黒屋さんの言葉通り、その意気込みが、溢れんばかりの熱い作品です。オリジナル9曲、カバー1曲&ショートコント7編から成る『おかわり』(1500円)。ここからまずは、そろりそろりと”だるま”の世界に足を踏み入れてみてはいかがでしょうか!

| | トラックバック (0)

2006年4月 7日

振り出しに、そしてスタート。

ここのところずっと考えてばかりです、音源作成のこと。どうしたらいいんだろう・・・って。作業を進めれば進めるほど、不安は大きくなる一方です。

そして、実際に他の楽器と音を合わせて行くことで、作りたい音のイメージは膨らむのに、膨らめば膨らむほど、それを形にできない自分にがっかりしています(x_x)。

あまりにも、何もわかっていない状況で、ただ作りたい!という気持ちだけで、出発してしまったことを、今更ながら痛感しています。

”知らない”、ということは、時に大きなパワーにもなるけど、やっぱりそれは長続きしないもので、乗り越えなければならない山の高さを目の当たりにしています。

でも・・・。

なんとか諦めずにがんばる決意です。

作業を進めるたびに、わからないことが、一つまた一つと増えて行き、実際には逆戻りしているようにさえ感じますが、ようやく今、スタートラインに立ったと考えて、もう一度、じっく腰を据えて取り組もうと思います。

音源を作る、そのこだわりや目的は、皆それぞれで、お金のかけ方も、時間のかけ方も、音質へのこだわりも、曲へのこだわりも、決して一つではない。決めるのは、誰でもない、私自身なのです。

だからこそ、オリジナルなのだし、何より”一人でも多くの方に聴いてもらいたい”、という強い強い思いにもつながるのですよね。

私の、熱烈かつ強引なアプローチに応じて、一緒に音作りに加わろうと決心して下さった、心強き方々とのご縁を大切にしながら、そのお力を存分に借りながら、完成に向けて、一歩一歩進んでいきたいと思います。

しばらく『日々の宅録』はお休みしようと思います。多分、MTRを前に、青息吐息の日々が続くと思いますが、また、何か楽しいご報告ができる時には、きっとお知らせしたいと思います。

さて、ようやく花粉も落ち着いてきたし、早くライブやりたいな~。来月にはやりたいな~!また予定が決まったら、HPにアップしますので、是非遊びにいらしてください。楽しみにお待ちしています。

| | トラックバック (0)

2006年4月 6日

伝統の応援歌練習。

今日、ニュースで、『早稲田応援部』の特集をやっていました。なんでも、年々新人部員が減っている上に、過酷な練習に根を上げてやめていく部員が後を絶たないのだとか。そんな中、なんとしても、65年の伝統を守り抜かなければ、と団長は悲壮な決意で語っていました。

その昔、私が通っていた高校のこと。学内には、やはり「應援團管理委員会(通称応管)」というものがありまして、生徒会(自治会と呼んでました)とは別に、いろいろな行事でその存在感を示していたため、なかなか恐れられていたものです。

前身が男子校だったということもあり、校風は所謂バンカラで、新入生は、入学式を終えた直後から一週間、この応管主催の《応援歌練習》というものに参加させられのが慣わしでした。

もちろん、自主参加ではありましたが、誰一人サボることなく、放課後になると、校舎の屋上に集まり、それはそれは厳しい特訓を受けたものです。

なにしろ、団長は”高下駄に角帽、黒マント”という姿で仁王立ち、ただひたすら新1年生を上から睨み付け、他の団員たちも、やっきになって、なんだかわからないけど怒鳴っている。

もう~、とにかく怖くて怖くて(>_<)、その日いきなり教えられた応援歌なんて、ただでさえ歌えないのに、恐怖でますます身がこわばってしまうわけです。

で、固まって涙目になんかなっていると、団員がさかさずみつけては飛んできて、また怒鳴る。当時はまだまだ純情可憐だった!私など、あまりの怖さに昼のお弁当も食べられず、入学したとたん、痩せちゃったりして。

でも、そうやって毎年続けられてきた、”伝統の応援歌練習”を無事終えて、初めて自分もその高校の一員になれたんだ、という実感も得られるわけです。

それに、そうまでして覚えた応援歌だからこそ、未だに”自治を叫びて一百年~!”なんて諳んじて歌うこともできたり。

でも、聞く所によると、いつのまにか、その”伝統の応援歌練習”も、自主参加する新入生が激減しているそうで、そもそも”応管部員”自体が集まらず、存続の危機にあるのだとか。

時代の流れ、と一言で片付けてしまうのは簡単ですが、なんだか、やるせない寂しさを感じます。

理屈や理由がなくても、”やらなくちゃいけないからやる!”。 そういう体験って、その時は無駄なように見えても、生きていく上で、必ず何かの役に立つと思うし、ずっと続いてきた伝統を、ともかくも守り通していく、という努力には、それだけで、大きな意味があるようにも思うんだけどな。

で、余談ですが。

この応援歌練習、団員の上級生たち、あんなにどなりちらして新入生を説教しながらも、実はちゃーんと、”かわいい女子”をチェックしているのです。それが証拠に、この練習期間の後、《団員と新入生女子のカップル》っていうのが、何組も誕生するのも、また慣わしなのですから!

もう~、私みたいに、ただただ怒鳴られただけで、”チェック”の網にちらりとも引っかからない新入生は、”ホントやってられまへんな~”、とこっそり呟くしかない、懐かしい春の日なのでありました。

| | トラックバック (0)

2006年4月 5日

仙人掌養生訓。

Cactusaなかなか晴れの日が続きませんね。今日も花冷え。桜もそろそろ散ってしまうかな。

先日、無事にサボテンの引越し完了しました!

土を落として、根っこだけになったら、頭でっかちのクラゲみたいで、すごくおもしろかったです(*^m^)。しばらくクラゲのまま、日陰で根を乾かして、それから一回り大きな鉢に移してあげました。

新しい根が出てくるまで、一週間くらいかかるようです。うまく落ち着いてくれるといいけどな。

それから、とあるサイトで、徳川家康の遺訓を捩った、『仙人掌(サボテン)養生訓』なんていう、面白いものをみつけたので、記します。

仙人掌養生訓
仙人掌(サボテン)の養生は、気遣いを重きにおいて、
自然のふれあい大切にすべし
水掛けばかり急ぎ、かけ過ぎたるは根腐れし、害その身に至る
日当たり風通し良き処好み、日焼けに注意日陰を嫌う
毎日話し掛け愛情を以って、接したる時は、
必ず健康にて育つものと信ずるべし
右養生訓とし、とこしえに生き長らえる事、望むものなり

さて、果たして花は咲くのでしょうか!

| | トラックバック (0)

2006年4月 4日

焦燥。

0404_1我が家は、夫と私の二人家族です。住まいも全然広くないので、多分、家事はすごく楽なはずです。おまけに仕事を持たない私には、自由な時間がたくさんあります。

それなのに。

いつまでたっても、やりたいことの半分もできないままに、月日ばかりが流れて行きます。

読みたい本、聴きたい音楽、会いたい人、頭の中ではどんどん増えて、どんどん積まれていくのに、なかなか思うようには動けません。

人生は本当にあっと言う間の出来事なのだと、最近つくづくそう思います。

昨日と今日と明日と明後日。いくつもの毎日が一つにくっついて、物凄い勢いで転がって行く。そんな気さえします。

そして、時はもう4月。

今日みたいに、あんまり気持ちのいい日には、そういう自分が、どうしようもなく歯がゆくて、一人意味もなく焦ってしまう、私です。

| | トラックバック (0)

2006年4月 3日

月山の恵み。

Mugi

山形生まれのおいしいラスク。とうとう取り寄せちゃいました(>_<)!

このラスク、実は、2月の”わけありライブ2”で、お土産にいただいたのが初ての出会いでした。

”日本一おいしい”という評判通り、本当に風味も歯ざわりも抜群で、ライブを聴きながら、みんなでつまんでサクサク、サクサク。

そしたら、先日の”わけあり3”でも、お心遣いとともにまたまたこのラスクがライムセカンドに届いていて、やっぱりみんなでサクサク、サクサク、SAKUSAKU-SAKU。

すっかり、このサクサクのとりこになってしまった私は、とうとう、山形のお店を教えていたMugi1だき、注文してしまいました。

なんでも、おいしさの秘密は、月山を源流とする、その水にあるそうで、”よくできたフランスパンは自分で拍手をしながら窯から焼きあがってくる” のだそうです!いんや~、すばらしい!

プレーン、ブルーべりー、ゴマ風味に、オニオン、ガーリック・・・。そんなラスクが箱一杯に詰まって届いた日には、抑え切れない幸せに眩暈がしそうな私でございます(◎o◎)。

ということで、しばらく我が家は、さくさくおいしい毎日が続きそうですが、問題は、食べ始めると、どうにもこうにも止まらない~♪ということなのであります。これをつまみに、ワインもまた、一杯飲んじゃいそうだしな~。うしし~。

*下の写真はお店のHPからお借りしました。

| | トラックバック (0)

« 2006年3月 | トップページ | 2006年5月 »