伝統の応援歌練習。
今日、ニュースで、『早稲田応援部』の特集をやっていました。なんでも、年々新人部員が減っている上に、過酷な練習に根を上げてやめていく部員が後を絶たないのだとか。そんな中、なんとしても、65年の伝統を守り抜かなければ、と団長は悲壮な決意で語っていました。
その昔、私が通っていた高校のこと。学内には、やはり「應援團管理委員会(通称応管)」というものがありまして、生徒会(自治会と呼んでました)とは別に、いろいろな行事でその存在感を示していたため、なかなか恐れられていたものです。
前身が男子校だったということもあり、校風は所謂バンカラで、新入生は、入学式を終えた直後から一週間、この応管主催の《応援歌練習》というものに参加させられのが慣わしでした。
もちろん、自主参加ではありましたが、誰一人サボることなく、放課後になると、校舎の屋上に集まり、それはそれは厳しい特訓を受けたものです。
なにしろ、団長は”高下駄に角帽、黒マント”という姿で仁王立ち、ただひたすら新1年生を上から睨み付け、他の団員たちも、やっきになって、なんだかわからないけど怒鳴っている。
もう~、とにかく怖くて怖くて(>_<)、その日いきなり教えられた応援歌なんて、ただでさえ歌えないのに、恐怖でますます身がこわばってしまうわけです。
で、固まって涙目になんかなっていると、団員がさかさずみつけては飛んできて、また怒鳴る。当時はまだまだ純情可憐だった!私など、あまりの怖さに昼のお弁当も食べられず、入学したとたん、痩せちゃったりして。
でも、そうやって毎年続けられてきた、”伝統の応援歌練習”を無事終えて、初めて自分もその高校の一員になれたんだ、という実感も得られるわけです。
それに、そうまでして覚えた応援歌だからこそ、未だに”自治を叫びて一百年~!”なんて諳んじて歌うこともできたり。
でも、聞く所によると、いつのまにか、その”伝統の応援歌練習”も、自主参加する新入生が激減しているそうで、そもそも”応管部員”自体が集まらず、存続の危機にあるのだとか。
時代の流れ、と一言で片付けてしまうのは簡単ですが、なんだか、やるせない寂しさを感じます。
理屈や理由がなくても、”やらなくちゃいけないからやる!”。 そういう体験って、その時は無駄なように見えても、生きていく上で、必ず何かの役に立つと思うし、ずっと続いてきた伝統を、ともかくも守り通していく、という努力には、それだけで、大きな意味があるようにも思うんだけどな。
で、余談ですが。
この応援歌練習、団員の上級生たち、あんなにどなりちらして新入生を説教しながらも、実はちゃーんと、”かわいい女子”をチェックしているのです。それが証拠に、この練習期間の後、《団員と新入生女子のカップル》っていうのが、何組も誕生するのも、また慣わしなのですから!
もう~、私みたいに、ただただ怒鳴られただけで、”チェック”の網にちらりとも引っかからない新入生は、”ホントやってられまへんな~”、とこっそり呟くしかない、懐かしい春の日なのでありました。
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