『紙屋悦子の青春』
今日は朝から気合を入れ、岩波ホールまで、映画を観にいってきました。
夏からずっと見たかった、『紙屋悦子の青春』(主演:原田知世)という作品です。
監督は、「TOMORROW/明日」「美しいキリシマ」「父と暮らせば」の、戦争三部作で知られる、故・黒木和雄監督。
雨の月曜日にも拘わらず、8月の半ばから上映しているにも拘わらず、開場前には、既に50人くらいの人が並んでおり、じっくりじわじわ、その評判が浸透している、息の長い映画であることを、肌で感じて参りました。
”紙屋悦子”とは、劇作家・松田正隆氏の実母で、氏が、”終戦間近にあった、若き日の両親のことを描いた戯曲 「紙屋悦子の青春」”が原作となっている作品です。
昭和20年の春、太平洋戦争末期の日本の家庭の日常生活。
戦時下の日本では、普通に暮らす、普通の人々が、きっとたくさんの場所で、こういう静かな悲しみ、苦しみに翻弄され、そして今も、その矛盾と傷から逃れられずにいるのだろう・・・そんなことを考えさせられる作品だったように思います。
登場人物は、鹿児島の田舎町に暮らす”紙屋悦子”と”兄夫婦”。そして、悦子が思いを寄せる、兄の後輩”明石少尉”と、同期で親友の”永与”。
”明石少尉”もまた”悦子”に思いを抱きながらも、自ら特攻隊に志願するため、出撃を間近に、最愛の”悦子”を親友”永与”に託そうと、自ら二人を引き合わせる。
その”明石”の、秘めた決意を知りながら、戦時下にあって、どうすることもできない、”悦子” ”兄夫婦” ”永与”。
それぞれの思いや心の襞を、一つ一つ、長いカットの中で、静かに描き出した、まさに《舞台》を思わせるような、そんな作品だったと思います。
戦争映画でありながら、戦闘シーンはおろか、砲撃も銃声も一つもなく、ほとんどの場面が、家の中で、ちゃぶ台や座卓をはさんで、家族や友人が、生きるために食べ、そして語り合っている。
効果音もBGMも何も無く、聴こえるのは、”家の中を歩く足音や、湯を注いだり、戸棚を開けたり、手紙を書くときのペンの滑る音”。
そうしたなんでもない”日常の生活音”と、”登場人物のセリフや間合い”を通して、それぞれの感情の流れを、誠、繊細に伝えているため、自然とひきこまれてしまう場面がいくつもありました。
特に劇的なストーリー展開や、激しく心揺さぶられるシーンはないのですが、”ただ静かに、日々の暮らしに最善を尽くしながら、誰かのことを大切に思って生きて行きたい”、そんな優しい日本人の心が、とても自然に描かれているように思いました。
そして、人には、”本当に大切だからこそ、本当に相手を思うからこそ”、決して言葉にはできない心があるんだ、ということを、改めて強く感じる、そんな1時間52分であったように思います。
ふぅぅ~。
私、いつも映画館で映画を見る時って、どんなに泣きたくてなっても、泣いた後の、あのなーんとも言えない所在なさ、いたたまれない感じが恥ずかしくて、大抵根性で堪えるんですが^0^;、今日は、あまりにも胸がぐわーんと詰まってしまって、これ以上我慢すると”窒息するかもっ(◎o◎)!”と思い、覚悟を決めて泣きました。
というわけで、今週は、映画鑑賞の月曜日から始まりましたが、また一週間、元気に過ごしたいと思います(^-^)♪
☆『紙屋悦子の青春』 http://www.pal-ep.com/kamietsu/index.html
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