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2007年1月10日

【理解】と【諒解】

☆哲学者 内山節さんのコラムより(内容、要約)。

『人間の精神がどのように作られているか、ということを考えるとき、それは大きな謎に包まれている。

なぜなら、私たちが、明確に掴み得るものは、精神の中の”論理的・合理的な考えに裏打ちされた”、意識されている部分に限られるからである。

しかし、人間の精神とは、そうした表層部のみから成るものではなく、その後ろには、正体不明のいくつもの層が重なっており、一つの”集合体”として成り立っている(これを多層的精神と呼ぶ)。

例えば、旅先の景色を前にして、ふいに懐かしさを感じたり、自然の中で、理由のわからない感動を覚えたりすることがあるが、そうした時、私たちの精神は、論理的・合理的とは異なる方法で、物事を考えている。

すなわち、【合理的理解】と【精神の深層部からの理解】は区別されるべきものであり、前者を【理解】、後者を【諒解】と呼ぶ。

【諒解】とは、合理的な判断を通らず、物事を受け入れる精神、とも言い換えられる。』

     思うに・・・・。

今の世の中は、おそらく、人と人のつながりを考えるとき、この”諒解”を通じて、心を結び合うことが、どんどん苦手になっている時代なのでしょうね。

パソコン、携帯、テレビの情報、そして経済のメカニズム。

目まぐるしく変化する日常に追いつくため、私たちは、自ずと”合理的理解”ばかりに目を向けるようになってしまい、”諒解して受け入れる”、すなわち”深層部の精神”を、知らず知らずの内に、自分の中に閉じ込めてしまっているのかもしれませんね。

人間の精神とは、本来、多層的なものであるはずなのに、それが失われていくことは、”精神の広がり”をも失うことで、そういう社会は、やっぱり味気ないし、つまらない。

人間が生まれながらに持っている”正体不明の精神層”を、もっともっと敏感に、そして有効に活用するためには、まずは何より、自分自身、それを意識することから始めなくてはいけないですね。

そして、おそらく、”音楽”は、その一助であり、”良い音楽” とは、聴く人の心が、素直に、そして自然に”諒解”できるもの、と言えるのかもしれませんね。

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