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2007年2月13日

智恵子の紙絵。

”いいものは懐かしい” という言葉が、落語にはあるそうです。

この連休中、そんな、心がとても懐かしくなる、とてもいいものに再会しました。

以前、福島に住んでいたころ、週末になると、あちこち車を走らせて、いろいろなものを見て回りましたが、その中でも、とりわけ印象に残っているものの一つに、高村智恵子の残した”紙絵”があります。

この度、劣化した原画を、光太郎の甥にあたる人物が、デジタル技術で複製し、作品にしたものを、最寄りのデパートで展示していることを知ったため、早速見に行ってきました。

智恵子は、亡くなる2年ほど前(50歳のころ)から、野菜や果物、草花など、極身近なものを題材に、光太郎の差し入れる千代紙を鋏で切り、それらを張り付けて、千点余りの紙絵を残しています。

私が、初めてその紙絵と出会ったのは、二本松市安達町にある、智恵子記念館でのことでしたが、その作品を前にしたとき、それはそれは感激し、しばらくそこから離れられなかったのを、今でも覚えています。

その色彩、構図、メッセージは、まこと、すばらしくて、智恵子の中に息づいていた、生命への、光太郎への力強い愛情が、隅々まで、ほとばしっているように感じました。

光太郎の随筆に記された智恵子は、

『看護婦さんのいふところによると、風邪をひいたり、熱を出したりした時以外は、毎日「仕事」をするのだといつて、朝からしきりと切紙細工をやつてゐたらしい。鋏はマニキュアに使ふ小さな、尖端の曲つた鋏である。その鋏一挺を手にして、暫く紙を見つめてゐてから、あとはすらすらと切りぬいてゆくのだといふ事である。模様の類は紙を四つ折又は八つ折にして置いて切りぬいてから紙をひらくと其処にシムメトリイが出来るわけである。さういふ模様に中々おもしろいのがある。はじめは一枚の紙で一枚を作る単色のものであつたが、後にはだんだん色調の配合、色量の均衡、布置の比例等に微妙な神経がはたらいて来て紙は一個のカムバスとなつた。』

デパートの展示を見に行くにあたり、以前、安達町の記念館で買った、紙絵の図録を眺めては、改めて、そのすばらしさを実感しましたが、私が中でも、心惹かれたのは、おそらく”この紙絵を作るのに使ったのではないか”と思われる、小さな鋏を表した作品です。

それは、裁縫で、ちょっと糸を切る、あの、片手に収まる小さな鋏なのですが、使われた銀色の千代紙が、なんとも美しく、優しく、ふくよかで、眺めていると、千代紙を切っている、智恵子の後姿が、静かに見えてくるような気がしました。

今回の展示品は、複製品とは言え、実によく表現されていて、とても素晴らしかったのですが、ただ、当時の”千代紙そのものに模様が入っているもの”については、おそらく復元できなかったのでしょうか、私の好きな”鋏”は展示されていませんでした。

最後に、智恵子が大正十五年、若い女性のために書いたとされる言葉を。

「あなた御自身、如何なる方向、如何なる境遇、如何なる場合に処するにも、ただ一つ、内なるこえ、たましいに聞くことをお忘れにならないよう。この一事さえ確かならあらゆる事にあなたを大胆にお放ちなさい。それは、もっとも旧く最も新しい、成長への唯一の人間の道へと信じます故。」

いいものは、懐かしい・・・。

やがては、そこにも重なっていく、そんな心のありようを、伝えているのかもしれませんね。

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