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2007年5月 9日

旅路の彩り。

☆無量寺住職 青山俊董尼のコラムより。

『   花無心にして
     蝶を招き
   蝶無心にして
     花を尋ぬ
   花開くとき蝶来たり
   蝶来るとき花開く
   吾もまた人を知らず
   人もまた吾を知らず
   知らずして
     帝則に従う。(良寛)

花咲き始めるとき、蝶や蜜蜂もまた目を覚まし、本能に導かれるままに、花びらに埋もれて蜜を吸い、その体につけた花粉を、次の花びらへと運んでいく。

このとき、蝶も花も蜜蜂も、互いに無心のまま。

無心のまま、蜜をごちそうになり、無心のまま、花粉の媒介の手伝いをし、「してやった」「してもらった」などと思う心はどこにもなく、無心に天地の法則(帝則)にかない、みごとなハーモニーを奏でていく。

人間はつい、目の前の出来事を、自分の物差しではかろうとしてしまうけれど、天地に存在する一切のもの、そして、その中に生かされている、全ての命と肉体が、ひとつとして外れることなく、互いにかかわりあい、たすけあい、調和しあって存在している。

そういう天地の中での働きを、仏教の世界では、古来、網の目にたとえる。

網の目の一つ一つに宝珠が輝き、すべての宝珠が、互いに相映じあって、その光を増し、更には、一つをつまみあげると、全部がひとつながりになっていて、この世界のすべてのことは、一つの背景に一切の働きがあり、一切が総力を上げて、一つを支える。

「網珠相対す」(『従容録』弟四十則「雲門白黒(うんもんびゃっこく)」より)

重々無尽にかかわりあう天地には、はみ出すものは一つもなく、不都合なものも一つもなく、例外なくすべてをつつみこんで障りなく輝きあっている。

これを人生にあてはめるなら、寒くてよし、暑くてよし、雨もよし、晴れもよし。病むことも、失敗も成功も、愛する日も、憎しみに変る日も、損も得も、それまたよし。』

・・・・なるほど。

どんなにもがいてみたところで、人間一人のできること、人間一人の知るところ、それらは全て、天地の網の目の中でのことであって、自分ひとりでやった気になっていることも、辿ればそのどれもが、すぐそばにいるあの人や、今はまだ知らない遠くの誰かに支えられている。

そしてまた、生きているうちに起こる、悲しいことも、苦しいことも、理不尽なことも、それらはみな、生まれ落ちた網の目の中で、一つでも多くの輝きに出会うため、自分自身の輝きを知るため。

人間の求める一番の幸せとは、”今ここに、なぜ自分が生かされているのか。”

”その意味を知る”、そういうことなのかもしれませんね。

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