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2007年6月29日

あの頃のハノイ。

今日は、午後から、じめじめとはっきりしないお天気で、ベランダから見えるいつもの景色は、まるで靄の中でした。

こういう湿気に包まれていると、以前仕事でベトナムに行った時のことを思い出します。

もう十年以上も前のこと、まだ、ベトナムが今みたいに、観光地化していない頃だったので、いろいろと苦労の多い旅でした。

なんと言っても、まずは宿泊施設が限られていて。

ビジネスで使うようなホテルがほとんど無かったため、ハノイの中では”良い”とされているホテルに泊まったものの、それでも、なかなかシビアな環境だったのを覚えています。

停電などは、当たり前。

夜は、突然真っ暗になってしまうから、これが結構、心細いのです。

で、このホテル、小さな湖の脇に建っていたこともあってか、その湿気たるや、半端じゃない状態。

持って行った書類なんかは、全部、しわしわになってしまって、”水で濡らした後、ドライヤーで乾かした”みたいにカサが増してしまうのです。

でもって、そんな恐ろしいほどの湿気にぼーっとしながら、窓の外を眺めていたら、目の前の湖に、突き出すように作られた釣り場みたいなところに、数人の子供たちがわーっとやってきて。

やってきたと思ったら、みんなで元気にズボンを脱ぎだして。

脱いだと思ったら、前から、後ろから、あんなものやこんなものを湖の中に落とし始めて・・・。

えぇ~っと、普通は、トイレに落とす、あんなものやこんなもの・・・。

もう、本当に、呆気にとられるとは、まさにこのこと。

私はただただ、目が点に・・・口はひたすら、あんぐりと・・・。

まぁ、昔の日本も、そんな時代があったのでしょうが、何はともあれ、絶対に生水だけは飲むまいと、心に誓った瞬間でありました。

でも。

そのころのベトナムでは、日本はとっても良い印象を持たれていたのですよね(今はどうなのか知らないのですが)。

当時、ちょうどN●Kの『おしん』がベトナムで、放映された後だったこともあって、私も、現地の女性から、”シンドウは、まるでおしんのような人だ”とか言われたり^-^;、 ”日本の女性は、みんなおしんのような人ばかりなのか” とか ”日本の女性は、何を食べているのか”とか、”どうしたら、そういう化粧ができるのか”とか^-^;、 いろんなことを、興味津々に聞かれ、あのときほど ”日本の女性”で良かったと思ったことは、後にも先にもないかもしれません。

その当時は、お金も無かったので(今も大して変わらないですが)、出張に行っても、なかなか自分のお土産って買えなかったんですが、今にして思えば、アオザイなど、買ってくれば良かったな~と思います。

もう、今後、自分では行く機会なんて、ないでしょうからね。

その後日本にも、ベトナムブームが起こって、飛行機も定期的に飛ぶようになったし、ベトナム都市部の経済も随分と発展したのではないかと思います。

でも、その分、治安も悪化しているようで、そのあたりは裏腹ですね。

そう言えば、市内の軍事博物館と言うところにも行きました。

その時、実際何を見たのか、もう細かいことは記憶していませんが、何か ”見てはいけないものを見てしまった”、というか、”見ておかなければいけないものを見たのだ”というような気持ちになったことを覚えています。

その出張のあと、しばらく、我が家の食卓には ”生春巻き”がよく登場しましたが、最近はめっきり作らなくなりました。

仕事だったとは言え、あの頃のベトナムに行けたことは、良い経験だったのではないかと思います。

ということで、今日は、生春巻きを~!、とは行きませんが、そんな会社時代を思い出しながら(嘘です)、おいしいお酒を飲めたら、と思います。

どうぞ良い週末を♪

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2007年6月28日

あぁ、すれ違い。

先月、ゴーヤの苗を植えてから、丸一ヶ月が経ちましたが、その成長たるや、目を見張る勢いで、脅威の生命力を発揮しています。

最初の蔓は、あっという間にベランダの軒まで達し、このまま行くと、ジャックと豆の木さながら、どこまでも伸びていってしまうので(というか、伸びていく場所がもう無い^-^;)、上部を切って止めました。

でも、すでに、横から伸びている蔓が、同じく、軒まで達しようとしている今日この頃、どないしましょう。

そんな底知れぬパワーを見せるゴーヤに、昨日は、悔しき、悲しきすれ違いがありました。

ゴーヤって、雌花と雄花があって、これがちょうどいいタイミングで受粉しないと、実が成長しないのです(きゅうりなどもそうかな)。

そして、我が家のようなベランダの場合、蜂などが媒介してくれませんから、この私が手を貸さなければいけないわけです!

ということで、昨日は、いつにもまして張り切って早起きした私なのであります。

なぜって。

それは、初めての雌花が間違いなく咲くと思ったからなのです。

えぇ、確かに。

予定通り、とっても可愛らしい雌花が、朝一番で開きました。

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がしか~し!!

こんな日に限って、雄花が咲かないのです~!!

前日まで、一つ二つと定期的に咲いていたのに、昨日に限って咲かない~!!

雌花が初めて咲いたというのに、なぜになぜに、その日だけ咲かないのだ~!

花の命は短し。同じ日に咲いてくれないと間に合わないのです。

あんまりだ~!!

受粉の仕方もばっちり調べ、朝からパワー全開で張り切っていた私の思いはどこへ~。

ということで、初めての雌花は受粉に失敗、写真の通り、小さなゴーヤのまま成長することなく、結果、収穫の楽しみも、先に伸びてしまいました(・・、)。

数の割合から言えば、雌花:雄花=1:30くらいで、つぼみがついているのに、昨日に限って咲かないなんてね。

なかなかうまくいかないものですね。

・・・と、がっくり嘆いていたら、今日は、また、元気に2つも雄花が咲きました^-^;。

だからね~、遅いんだってばさ~。

今のところ、次の雌花が見当たらず、このまま行くと、葉っぱと雄花だけで終わってしまったりするのかな~。

一抹の不安。

Myゴーヤでチャンプルー。

その楽しみがちょっと先に伸びてしまいましたが、まだまだ夏はこれからですね。

もうこうなった、強硬手段だ。

いっぱい実がつく、すんごい肥料、探しにいって来よ~っと。

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2007年6月26日

W先生を知る。

先日、高校の担任だった、W先生から、分厚い封書が届きました。

突然だったので、何が届いたのかと、びっくりしました。

夫と私は、高校時代の同級。

つまりは、二人にとっての担任教師であり、結婚の際には立会人もして頂いた先生です。

卒業後、何度かご自宅に遊びに行ったこともありましたが、ここ何年かは、年賀状だけの挨拶で、すっかりご無沙汰してしまった中でのお便りでした。

先生は、10年ほど前、脳梗塞で倒れ、その後は自宅で療養の身にあるため、リハビリを兼ね、いつもパソコンで文章を書いておられます。

今回も、そうした書面がいくつか同封されていたのですが、それは、私たちに向けたものでなく、先生がこれまでいろいろな場面で、折に触れ書いた文章のコピーで、それを、夫と私にも是非読んで欲しい、というものでした。

先生が、母校を退職されるに当たって書かれた挨拶文。同僚に宛てて書いた手紙。先生のことを記した卒業生の新聞記事。

私は、先生がなぜ、突然今、これらを送って来られたのか、その理由がよくわからないままに読み進めました。

そして、全部読み終えたとき、自分でも思いがけず、なんとも表しがたい気持ちになっていました。

先生が同僚に宛てたと言う手紙の中には、”私のことだろう、と思われる生徒”についても書かれており、私が大学に進む際、当時、先生の立場から、陰でいろいろと心を尽くして下さったことを、初めて知りました。

また、別の同級生との間にあった、印象深いエピソードについても記されており、改めて、その同級生の人柄のすばらしさを知ることにもなりました。

その他、いろいろな思い出に触れながら、先生は、書面の中で、何度も”自分は教師の道を選んでよかった”ということを書かれています。

これほどたくさんのことを学び、たくさんの人に助けてもらうことができたのも、自分が教師であったからに他ならない、ということを繰り返し記されています。

先生が、今回、これを私たちの元に送ってきたことには、おそらく、特別な理由はないと思います。

きっと、これまでの教師生活、教師をやめてからの人生、そうしたものを、先生自身振り返る中、懐かしい生徒たちにも知ってほしかった、そういう理由だった思います。

でも、それとは裏腹に、私は、先生の書かれた書面の数々を読んだあと、なぜだかとても凹んでいる自分に気づきました。

なんと言ったらいいのでしょう・・・。

これまでの、自分の生き方の底の浅さとか薄さとか、そんなものを、改めて突きつけられたような気持ちになったのです。

高校時代、大学時代、会社時代。

振り返るとき、私は、いつも、今立っている足元に、しっかり根を張ろうとせず、漠然とした人生ばかりを歩んできました。

いつも、目の前に置かれた物事に、しっかり向き合わず、その先にあるものばかりに目を向け、囚われてきた気がします。

器用貧乏であるがゆえに、とりあえずの表向きを整えることが得意な分、簡単なところばかりを通ってきてしまったのだと思います。

そして、いつもそれがコンプレックスで、本当は、もっと深く、自分の足元に根を張れる何かをみつけたい、もっと心から、一つのことに夢中になれる自分になりたい、とそう思っていました。

今回、先生の手紙を読んで、高校時代には知る由もなかった、先生の、筋の通った生き方に触れ、自分の過ごしてきた毎日が、いかにとりとめもないものだったか、それを痛感した次第です。

でも。

これまでは確かにそうであったけれど、今の私には、”歌” があります。

偶然出会ったものにせよ、今の私には、心から好きだと思う”歌”があります。

そして、今度こそ、私にとって、ここが根を張れる場所になってくれるんじゃないかと、そう思っています。

もちろん、何一つ根拠はありません。

私には、音楽に関しても、他の事柄と同じよう、過去に蓄積してきたものがありません。

胸を張って語れる”好きな音楽や、好きな歌手や演奏家”というものもありません。

今はまだ、根っこはぐらぐらで、ちょっと押せば倒れてしまいます。

でも、先生が教師という職を通じて得たのと同じよう、私にも、音楽を通じて、たくさんの素晴らしい方々との巡り会いがあり、それはこれからも間違いなくずっと続いて行くと思うのです。

先生は、私が音楽活動をしていることを知りませんし、きっと想像もしていないでしょう。

なので、近いうちに、音蔵で歌った『大糸線の走る町』と『杏』の音源を送って、びっくりさせたいと思っています。

高校時代の、初々しかった私はもういませんが(笑)、その時代を見ていてくれた先生に、今の私の歌を聴いてもらえること。

それは、私なりの、ささやかな恩返しにもなるのではないかと思っています。

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2007年6月22日

心をよぎる。

私は、曲を作るとき、そのきっかけとして、自分以外の誰かの気持ちに触発されることが多いです。

自分の気持ちは、自分では掴めない所があるし、客観的にもなれないのですが、他の誰かが書いた文章、他の誰かがふともらした言葉、そんな中から、私なりに突き動かされる衝動のようなものがあって、それを曲にすることが多いです。

そして、今、そんな衝動が押し寄せています。

作りたい気持ち。

それが生まれているのがわかるけど、すぐには難しい・・かな。

それはなかなか解きほぐすのかやっかいな心のようで。

少し時間がかかるかもしれないけど、いずれちゃんと形にしてみたいです。

さてさて、話は変わって録音のこと。

先日、ウォルフィーさんの楽器を取り終えて、あとは私の歌入れを残すのみ、という段階まで来た曲があります。

そこで、早速歌入れをしようと、これまで録ったものをミックスして、何度か聞いみたのですが・・・。

これがどうも、待てど暮らせど、一向に歌う気になれなくて・・・・^^;。

理由は・・。

わかっているのです。

それは、私のピアノのせいなのです。

この曲は、私のピアノがメインになり、岩橋さんのベースとウォルフィーさんの楽器を随所に乗せて行く、という構成になっているため、まずは私のピアノを固めるべく、自分なりに ”これで行こう!”と思うテイクを、MTRに収めました。

そして、岩橋さん、ウォルフィーさんに、それを聴きながら、音入れをしていただきました。

で、今それをミックスして再生してみると。

・・・なんとも言えず、私のピアノが拙いのです。

それは、上手い下手、という意味ではなく、この曲の世界に全くついていけてない感じ。

自分で作っておきながらおかしな話ですが、こうして、別の楽器が入ることで、その曲が、今まで見せていなかった世界を展開し始めたため、私のピアノが、すっかり浮いてしまっているのです。

”これがベストだ!”、と思って入れたピアノだったのに、なんだかすっかり色褪せてしまい、どうにもこれじゃダメですな。

ただでさえ、ピアノが足枷の私にとっては、正直、気の重い話でありますが、ここは一つ、気合を入れ、改めてアレンジを作り直して見ようと思います。

やっぱり、録音作業は、3歩進んで2歩下がる、が鉄則なのですね。

ちょっぴりブルーな、霧雨煙る金曜日。

いいアレンジを生み出すためにも、まずは、心と体をリラックス。

だから今宵も~・・・・^-^。

どうぞ良い週末を♪

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2007年6月20日

アルバム。

我が家には、そこそこ値の張る、フィルム用一眼レフカメラがありますが、ここ数年、それを使う機会は皆無となりました。

理由はもちろん、日常であれ、旅先であれ、デジカメで十分事が足りるからです。

事足りる、というよりは、デジカメの方が、断然便利で、もうフィルムのカメラには戻れない、というのが実際かと思います。

このブログに写真をアップできるのも、デジカメがあるからだし、何度も写し直しがきく上に、その場ですぐに画像を使えるということは、とても大きなメリットです。

出来ることなら、デジカメの一眼レフが欲しいくらい。

写真を撮ることが、随分と気軽で身近なものになりました。

でも、その分、一枚一枚に対する思い入れのようなものが、私の中では、確実に薄くなり、写真の持つ特別な思い、記憶というものが、なかなかみつけられなくなったのも、また事実です。

何より、アルバムというものを作らなくなった。

ある時期から、我が家のアルバムは、ピタリとその冊数が増えなくなりました。

デジカメがこんなに普及するまでは、5冊980円くらいで売っている、ポケットアルバムに、写真を整理して納めるのも、一つの楽しみだったのですけど、今は、パソコンのフォルダーがその代わりをしています。

アルバムのいいところ。

それはやっぱり、一冊にまとめられた写真を手に取り、眺めることで、その時代に自分の気持ちを馳せられること。古くなったり、色褪せてしまった写真から、当時の記憶を、思い起こせること。

我が家の本棚には、私のアルバム、夫のアルバム、結婚してからのアルバム、それぞれありますが、その一枚一枚の持つ意味は、その写真の出来不出来に関係なく、自分にとって忘れがたいものであり、今より深いように感じます。

自分の歩いてきた歴史の一端を語るのも、またアルバムなのですよね。

フィルムの頃は、撮ってから、現像されるまでに時間がかかる分、”出来上がってくるのを待つ”という楽しみもありました。

小・中学校の頃は、修学旅行や遠足の写真が、後日教室の後ろに張り出されるのが恒例で、みんなでわいわい言いながら、どの写真を買おうか相談したり。

自分は写ってないのに、好きな男子の写った一枚をこっそり買う、なんて楽しみもありました(笑)。

今は、便利になった分、”写真=よそゆき”という感覚が、薄らいだのかもしれません。

もちろん、だからデジカメがダメだということではなく、これからも、私は、おそらくフィルムの写真を撮る機会は無いと思いますし、デジカメを愛用していくことと思いますが、時々アルバムを眺めては、写真の中の自分と向き合い、 ”有り得えないその髪型や服装”に突っ込みを入れながら、この時よりは少しは進歩したのかな、と確かめたりする。

それもまた、古くなった写真ならではの楽しさかもしれませんね。

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2007年6月19日

五つ葉。

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ここのところ、音楽のことばかり考えています。

なんだかんだと、四六時中。

録音のこと、大阪のライブのこと。

考えていないのは、もしかしたらベランダ仕事をしているときだけかもしれません(笑)。

よっぽど好きなんだなぁと思います。(暇・・とも言えるかな^-^;?)

大阪ライブで何を歌おうか、今日も一日考えていて、時間があると、ついついピアノの前に座ってばかりいます。

またいつ聴いてもらえるかわからないお客さまの前で、自分のやっていることを、一番まっすぐに伝えるにはどうしたらいいのか。

せっかくお越しいただくお客さま。

初めて会う方々。

持ち時間もたっぷりあるし、みなさんにその時間を楽しんでいただくためには、いろいろ工夫も必要なんだと思います。

飽きずに聴いてもらうためには、肩の力を抜いていただくと同時に、メリハリの感じられる、起承転結が必要なんだと思います。

でも。

あれこれ考えたけれど、やっぱり、これまで作ってきたオリジナルを、自分なりの曲順で、シンプルに歌おうと思います。

それが、今の私をそのままお見せできる、一番の近道なのかな、と思います。

もちろん、毎回いろんなことにチャレンジして行きたいけれど、まずは ”そのライブで何をしたいのか”ということを、自分の中で明確にしないとだめですよね。

曲目が決まれば、あとは7月7日に向けてまっしぐら。

ひたすら練習大好き人間に変身するのみです!

写真は、以前ブログにもアップした、幸せのクローバー。

購入3カ月にして、初めて五つ葉が咲きました!

うれしい~。

失くさなさないように、枯らさないように、しっかり押し花にしなくては。

5枚目の葉は金運とのこと。

となれば、挟む場所は、やっぱり預金通帳かしら~。

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2007年6月15日

十五の心。

不来方の 
お城の草に寝ころびて 
空に吸はれし 十五の心   石川啄木

梅雨入りした途端、びっくりするような眩しい青空に驚きつつも、ふとこの歌を思い出しました(実際には秋の空を歌ったもののようですが)。

十五の心。

遠い昔、当時の自分を思い起こす時、それは、極めて多感で、不安定で、訳もなくもてあまし、家族にも、友達にも、世の中にも、素直に心開けをない、そういう年頃だったかもしれません。

だからこそ、そんな心を吸い取って、遠く高く解き放ってくれる空が必要で、それがみつからない時、十五の心は、はけ口を求めて、意図せぬ方向へと走り出す。

今は、そんな時代と言えるのかな。

四十●の心は、少々痛みます。

多分、空そのものは、啄木の時代から、何一つ変わってはいないのでしょうけどね。

いずれにしても、私の場合、今、草の上に寝ころんでみたところで、初夏の空に吸われしものは、お肌の水分。

ここは一つ、無理せずのんびり、梅雨の晴れ間は、部屋の中から眺めることといたしましょう。

どうぞ良い週末を♪

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2007年6月14日

MTRのワザを知る。

いよいよ、関東甲信地方も梅雨入りしたとのこと。これからしばらくは、今日のような天気が続くのかな。

さて、そんな雨の中、今日は、またまた録音の日。

ウォルフィーさんとスタジオ入りでした。

スタジオのクセや使い勝手、MTRの操作にも大分慣れ、だんだんと効率よく作業を進められるようになってきた感じです。

今日は、お願いしていた2曲に、全部で3種類の楽器を録音しました。

予定では2種類だったのですが、ウォルフィーさんの提案で、一つ楽器が増えました。

様々な楽器を扱うウォルフィーさん、まだまだたくさんの引き出しが隠れていそうです。

そして、今日は、録音ならではの、MTRならではの、音に奥行きと広がりを出す手法にも挑戦しました。

おそらく、MTRを扱う上で、こうした方法は、極めて普通のことなのだと思いますが、”MTR修行真っ只中”にある私にとっては、まさに画期的。

録れた音を再生したときには、感激してしまいました。

こうやって、ライブではできないことを音にする。

それもまた、録音の楽しさなのですね。

でも、そんな中でも、あくまでも、求める音は、できる限り素のままに、そして、作りこみ過ぎないように。

少しずつ、少しずつ、こうして音が形になっていくことは、本当に嬉しいです。

今ごろになって、ようやく録音が楽しいと思えるようになってきた私です。

ワケも分からず、ただ勢いのままにMTRを買ってしまった一昨年の11月。

しばらくは、MTRを目の前に、何をどう進めて行ったらいいのか、途方に暮れ、買ってしまったことを後悔した日も数知れず。

MTRの操作だけでなく、”音を作っていくということ”がどういうことなのか。

”自分の作りたい音のイメージ”がどんなものなのか。

そういう基本的なことも、全然考えないままに走り出してしまった自分が、本当に浅はかだったと嫌になり、途中、何度も投げ出したくなったのも事実です。

でも・・。

それでも、やっぱり、自分の音源を自分の手で作りたい、という気持ちはどうしても捨てられず、その思いに押されるままに、なんとかここまで突き進んできた。

そんな気がしています。

と同時に、何より大きな原動力。

それは、お忙しい中、時間を割き、力を貸してくださる方々とのご縁に他なりません。

私一人だったなら、今でもまだ、MTRを眺めては、深いため息に包まれているか、そろそろ売り払うことを決心しているか・・・。

とにかく、ようやくここまで来たのですから、最後まで、しっかり作り上げたいと思います。

まだまだ時間はかかると思います。

でも、一つ一つの作業を”楽しい”と思えるようになった私なのですから、これからは、ペースも少しは上がるかな?

今は、ひたすら、目指すゴールで待っている、”完成打ち上げ大宴会?!”、それを楽しみに、肝臓を鍛えつつ、前進あるのみ、ですね。

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2007年6月12日

わずかに開いた視界。

世の中には、凄い人、努力の人がまだまだたくさん隠れている。

その人の歌は、最近時々ラジオで聴くようになって、心のどこかにずっと引っかかっていた。

そして、ひょんなことから、そのプロフィールを知ったとき、なんだかわからないけど、ものすごく落ち込む自分がいた。

たった3年、日常の隙間で歌を歌ってきた私が、落ち込むこと自体、不遜なことかもしれないけど、”何やってんだろう”って心の底から、そう思った。

ここのところ、いろんなことで、迷って悩んで、ちょっと先に進めずにいた自分が、とてもバカみたいに思えた。

私は、アマチュアだ。

プロとアマチュア、その定義は、人それぞれ。

これまでも、いろんな人の意見を聞き、そして目にしてきた。

きっとどれも正しいに違いないけれど、その定義は、時代と共に、日々移り変わって行くもなのだと思う。

そんな中、一つだけ、はっきりしていること、変らないこと。

それは、私は、アマチュアだということ。

自分の中で、いろいろな矛盾に陥って、歌うことが、ただ楽しいとも思えなくなりかけていた近頃だけど、その迷いは、やっぱり必要なものなんだ。

それが自分ではっきりとわかった。

その人のプロフィールを見て、その人のやってきたこと、歌って来た数々を見て、とても落ち込んだのは確かだけれど、一方で、”あぁやっぱりそうなんだ”と、確かめている自分もいた。

今の私が探していること。

その手がかりがちょっとだけみつかったような気がする。

私のやっていることは、人から見たら、紛れもなく趣味の延長。

私が歌わなくたって、落ち込んだって、誰も困ったりしない。

落ち込んだら、迷ったら、そこからもう一度ジャンプしたらいい。

届く高さなんて、そもそもたかが知れている。

私が探していること、迷っていること、それは、今の私にとても必要で、いずれその答えがみつかる時、私は私なりに、自分の形に出会えるのだと思う。

その人を見ていてそう思った。

まだまだこれからだ。

いやいや、やっとこれからだ。

肩から力がすっと抜けて、一メートルくらい先、視界がわずかに明るくなった。

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2007年6月 8日

30分の徳。

ここのところ、いつもより少々早起きの私です。

日が昇るのが早くなったこともありますが、どうにもこうにも野菜のことが気になって仕方がないのです(笑)。

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目が覚めると、着替えもそこそこに、何はともあれベランダへ。

葉っぱをつまんだり、嗅いだり^^;、整えたり、あれこれしていると、30分くらいはあっという間に経ってしまいます。

ゴーヤの成長、これは本当に凄いです。

一日の朝と晩で、確実に3センチ~5センチは背丈が伸びていて、日中、ベランダで作業をしているほんの10分くらいの間に、さっきまでまっすぐ伸びてたはずの蔓が、もうぐるぐるとネットに巻きついていたりすることも。

こりゃ~、本当に収穫が楽しみだ!

写真は、リーフレタスの一鉢です。

これも、最初の苗からは、もう10倍くらいに大きくなりました。

このほか、ハーブ各種も順調に育っていて、いろんな香りが楽しめます。

ベランダ仕事のおかげで、朝、知らず知らず、たくさん深呼吸をするようになりました。

その分、お肌は日焼けにやられる一方ですが、30分の早起きが、今の私には欠かせない楽しみになっています。

いつまで続くかな。

そして、明日はちょっとだけ朝寝坊・・・・^^?

どうぞ良い週末を♪

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2007年6月 6日

REMY MARTIN COGNAC

・・にて、ビワ酒、作りました。0606_3

うちの父。

私に似て(?!)大のお酒好きでありましたが、実家には、その父が、どこで手に入れたのか、いつの間にやら買い揃えていたウィスキーやブランデーが並んでおりまして。

先日帰省した折のこと。

突然母が、父亡き今、誰も飲まないブランデーなんて、もう要らない、この際気前よく処分しようかと言い出しまして・・・。

ぬを~!!びっくり仰天。

並々ならぬ、捨て魔の母。

放っておけば、やりかねません。

ということで、これから少しずつ飲むようにするからと、ひとまず母をなだめまして、ともあれ一本東京に持って帰りましたのが、初心者向け、REMY MARTIN COGNAC。

でもね・・・。

そうは言ってみたものの、やっぱり、ウィスキーもブランデーも、飲まないんですよね~、我が家では。

何度かちょこちょこついではみましたが、やっぱり手が伸びるのは、ビール、日本酒、ワインに焼酎。

ということで、なかなか減らずにいたブランデー、ちょうど良い機会なので、これにてビワ酒を作ることにしました。

こうしてみると、やっぱり琥珀色が、なんとも言えず美しいです。

美味しくできるといいな~。

楽しみ楽しみ♪

ちなみにうちの父。

そうやって、ちょっと高そうなブランデーを買ってきては、戸棚に並べて喜んでおりましたが、晩酌と言えば、決まっていつも、お手軽焼酎『純』でして(笑)、しかも晩年は、母に厳しく ”コップ一杯”と制限され、その一杯を実に愛おしそうに飲んでおりました。

あぁ~、哀しきお父ちゃん(・・、)。

焼酎がそんなに好きなのに、どうして集めるのはブランデーだったのさ~。

ま、ともあれ処分の危機を免れたREMY MARTIN COGNAC。

きっといい味を出してくれることでしょう。

楽しみ楽しみ^^♪

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2007年6月 5日

ジレンマ。

花粉明けの『音蔵』で歌って以来、歌いたい気持ちは募るばかりですが、なかなかライブの予定を立てられずにいます。

まずは、録音にしっかりと時間をとって、早く音源を仕上げたい、という希望がありますし、一方、実家の母の状況が落ち着かないため、あまり先まで予定を組めない、という物理的制約も否めません。

でも。

それと同時に、心の奥の方に、もっと別の理由を抱えているようにも思います。

うまく表現できないのですが・・・・ある種の迷い、というようなもの。

それは、もうずっと前から考えていることなんだけど、ずっと探していることなんだけど、やっぱり、どうしていいのかわからない。

ここのところ、その迷いが、だんだん強くなってきて、なかなか先に進めなくなっている。

そんな気がします。

これからも、ずっと歌って行きたいからこそ、自分の歌が、何より大切だからこそ、その迷いも焦りも重くのしかかってくる。

多分これからも、すぐには答えのみつかるものではないと思いますが、今はとにかく続けていく中で、自分なりの道を探り、とにかく歌を作って、聴いてもらえる場所に出かけていこう、そう思っています。

聴いてもらえる場所に。

聴いてもらいに、出かけて行こう。

出かけて行こう。

7月7日(土)、大阪は寝屋川まで歌いに行ってきます。

体一つで歌いに来い!聴いてやるから歌いに来い!

そう行って下さる方々のもと、歌いに行って参ります。

私の歌を聴いてくれる、誰かが待っていてくれることは、何よりの力であり、そして大きな支えです。

このような企画に声をかけていただきました、Gan☆さん、wataさん、この度は、本当にありがとうございます。

七夕の夜、大阪の空の下、はじけます!歌います!

歌って歌って、今の私が探しているもの、その手がかりを、少しでも見つけられたらと、そう願っています。

よろしくお願いします。

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2007年6月 1日

色気づきました?!

先週辺りから、急激に色味が増し始め、すっかりビワの実らしい姿になりました。

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下の方から順に、大きい実が生っていて(重いから当たり前か)、上の小さな実は、まだまだ青いまま。

一番大きいのは、そろそろ食べごろなので、一つだけ味見をして、あとはビワ酒にしようと思います。

昨年作った、梅酒もコーヒー酒も、本当においしくて、ほぼ完飲です。

今年の青梅もつい最近手に入れたところで、ただ今灰汁抜き実行中。

今年は、黒砂糖でつけてみようかな。

そして、コーヒー酒はブランデーでやってみようかな。

自家製のお酒を置いていると、ちょっとした小料理屋のような気分にもなれて、来客があったとき、とても喜ばれます(うちに遊びに来る人は、みんな大酒飲みだからね~^^。)

今日から6月。

梅雨入り間近。

周囲の緑も、どことなく落ち着きを取り戻し、夏の前に一休み。

私もちょっと一呼吸。

どうぞ良い週末を♪

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