アルバム。
我が家には、そこそこ値の張る、フィルム用一眼レフカメラがありますが、ここ数年、それを使う機会は皆無となりました。
理由はもちろん、日常であれ、旅先であれ、デジカメで十分事が足りるからです。
事足りる、というよりは、デジカメの方が、断然便利で、もうフィルムのカメラには戻れない、というのが実際かと思います。
このブログに写真をアップできるのも、デジカメがあるからだし、何度も写し直しがきく上に、その場ですぐに画像を使えるということは、とても大きなメリットです。
出来ることなら、デジカメの一眼レフが欲しいくらい。
写真を撮ることが、随分と気軽で身近なものになりました。
でも、その分、一枚一枚に対する思い入れのようなものが、私の中では、確実に薄くなり、写真の持つ特別な思い、記憶というものが、なかなかみつけられなくなったのも、また事実です。
何より、アルバムというものを作らなくなった。
ある時期から、我が家のアルバムは、ピタリとその冊数が増えなくなりました。
デジカメがこんなに普及するまでは、5冊980円くらいで売っている、ポケットアルバムに、写真を整理して納めるのも、一つの楽しみだったのですけど、今は、パソコンのフォルダーがその代わりをしています。
アルバムのいいところ。
それはやっぱり、一冊にまとめられた写真を手に取り、眺めることで、その時代に自分の気持ちを馳せられること。古くなったり、色褪せてしまった写真から、当時の記憶を、思い起こせること。
我が家の本棚には、私のアルバム、夫のアルバム、結婚してからのアルバム、それぞれありますが、その一枚一枚の持つ意味は、その写真の出来不出来に関係なく、自分にとって忘れがたいものであり、今より深いように感じます。
自分の歩いてきた歴史の一端を語るのも、またアルバムなのですよね。
フィルムの頃は、撮ってから、現像されるまでに時間がかかる分、”出来上がってくるのを待つ”という楽しみもありました。
小・中学校の頃は、修学旅行や遠足の写真が、後日教室の後ろに張り出されるのが恒例で、みんなでわいわい言いながら、どの写真を買おうか相談したり。
自分は写ってないのに、好きな男子の写った一枚をこっそり買う、なんて楽しみもありました(笑)。
今は、便利になった分、”写真=よそゆき”という感覚が、薄らいだのかもしれません。
もちろん、だからデジカメがダメだということではなく、これからも、私は、おそらくフィルムの写真を撮る機会は無いと思いますし、デジカメを愛用していくことと思いますが、時々アルバムを眺めては、写真の中の自分と向き合い、 ”有り得えないその髪型や服装”に突っ込みを入れながら、この時よりは少しは進歩したのかな、と確かめたりする。
それもまた、古くなった写真ならではの楽しさかもしれませんね。
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