« 2007年6月 | トップページ | 2007年8月 »

2007年7月30日

梅雨明けを待つ。

今朝、目が覚めて、そこが自宅だとわかるまでに数秒。

そして、今日が月曜日だと認識するまでに、さらに数秒。

昨晩は、疲労のせいか、眠って眠って、眠り過ぎて、脳みそが、少々ふやけてしまったようです。

目まぐるしい四日間ではありましたが、おかげさまで、母の手術も無事に終わり、上手くいけば、あと一週間くらいで退院できそうです。

実際に補聴器を取り付けるのは、これからまだ三ヶ月ほど先になりますが、それでも、ここまでくれば、一安心。

あとはひたすら、その日を待つのみです。

そしてゴーヤ!

私の留守の間に、なんと一気に8号まで誕生していて、びっくりです!!

蜂たちが、しっかりと ”いい~仕事”をしてくれたみたいで、あっちにもこっちにも、雌花が”直れの形”にぶら下がって、我が家のベランダは、夏・真っ盛り。(もしかして、私がいない方がのびのび生長するってこと~・・・・?)。

さ~、また一週間、元気にがんばります。

今週は、やりたいことがたくさんあるのです。

頭・体力・時間を、上手にやりくりしながら、はやる気持を抑えつつ、一つ一つ取り掛かって行きたいと思います。

あと、信州の空の下、降り注ぐ紫外線をいっぱい浴びてしまった、お肌のお手入れもしなくては~。

信州の日差しは、なんだか年々強くなっているような気がします。

少なからず、オゾン層が壊されているのかな。

と言うことで、これ以上、そばかすは増やしたくないけれど、それでもやっぱり、早く梅雨明けしてほし~。

| | トラックバック (0)

2007年7月26日

一足早く。

今日もまた 暑くなりそうで・・・・

差し掛ける日よけのゴーヤはパワー全開。その勢いは既に手に負えず、まったくの野放し状態です。今朝、4号の小さな姿も発見しました!

来年は、苗を二本植えて、ベランダをもっと蔓だらけにするぞ~o(^-^)o

今日はこれからまた帰省します。

学校の子供たちももう夏休み。私もそれに便乗するかのように?、お弁当を楽しみながら、あずさに乗ります。

録音のことも、油が乗りそうだ・・というところで、なんだかんだと作業が中断してしまい、残念ですが、こればかりは仕方ないですね。

でも!

ちゃんと一つずつ進めています。必ずや、完成させます。

それでは元気に行って来ます。

あずさでコーヒーも飲んじゃうぞ(^m^)。

| | トラックバック (0)

2007年7月24日

ピアノと私。

今日は、いろいろと所用があり、夏の日差し降り注ぐ中、紫外線を浴びつつ一日出歩いておりましたが、ここのところ、自宅・電子ピアノを前に、ため息・吐息に包まれている私です。

以前から、ずっと気づいてはいるのですが・・・。

私のピアノは、何かがおかしい。

何かが抜けてる。

何かが足りない。

何かが違う。

それはもう、ずっと思っていることなのですが、ここのところ、ますます、気になって仕方がないのです。

もちろん、拙いのは、言わずもがなですが、下手とだけでは言い表せない、何かこう、もやもやとした感じが、いつまでたっても否めないのですよね。

それで、何がおかしいのかを探るため、時間をみつけては、他の弾き語りの方の音源を聴いたり、映像を見たりして、いろいろ研究してみるのですが、どうも、これだ!という、具体的な答えがみつからないのです。

”弾くときの手首や腕の使い方が間違ってるのかな”とか、”リズムの取り方がぎこちないのかな”とか、”ピアノとの一体感が感じられないからかな”とか、もちろん数え出したら、問題点はキリがないのですが、それでも、どうもぴんと来る答えはみつからないままです。

なんていうか・・・、ピアノという楽器が本来持つ、優雅さ、軽やかさ、重厚さ、美しさのようなものが、いつまでたっても、ちっとも生かせないんですよね(・・、)。

もちろん、私のピアノはソロではなく、あくまでも、歌を表現するための手段の一つとして、もっとも身近でもっとも好きな楽器として用いているわけですが、それにしても、そろそろ、もう少し柔軟に弾けるようになりたい・・・というのが切なる願いです。

まぁ、音楽のことで、あれこれ悩むのは、私の趣味でもありますから、半分は楽しみつつ検討しているのですが、それにしても、どうして、自分が思っているイメージ通り弾けないのかな~。

いつだったか、とあるライブの後、初めて聴いてくださったお客様に、”あなたのピアノは、上手ではないけれど(-_-;)、ちょっとおもしろいピアノですよね。”って、言われたことがありまして。

正直、そのときは ”??”という感じで、”おもしろい・・>可笑しい・・>変わってる”と、どちらかというと後ろ向きな意味に捕らえた記憶がありますが、今ごろになって、その言葉の意味を、改めて考えているところです。

私のピアノは、いったい、どっちを向いて進んでいきたいんだろう。

自分の中から自然に出てくる表現の形と、頭で描いているピアノのイメージが合ってないのかな~。

いずれにしても、ピアノも、声・曲・詞と同様に、結局は私そのものなわけですから、私という人間が、今の私のピアノだということは間違いないのでしょう。

つまりは、私自身、何かがおかしい、何かが抜けてる、何かが足りない、何かが違う、ということに尽きるのかしら?!

悩める夏の日・・・答えを求めて、今宵もお腹が空くのです。

| | トラックバック (0)

2007年7月20日

好きな風景。

近所の桜の有名な公園で、近々、夏祭りが始まるようです。

昨日まで、ただ青々と芝生の広がっていた場所に、気づけば櫓が組み立てられ、その周りにたくさんのテントが張られ、にぎやかな風情に様変わりです。

これからきっとあれこれお店が出るに違いありません。

この公園は、本当に緑と風が気持ちよくて、いつもどこからか近隣の人々が訪れては、思い思いの時間を過ごしています。

私も、買い物に出かけるとき、散歩がてら、よくここを通り抜けますが、とりわけ夕方は、楽しいひとときです。

学校を終えた子供たちがたくさんやってきては、野球をしたり、サッカーをしたり、部活のユニフォーム姿で、ランニングやトレーニングに一生懸命汗を流したり。

その傍らで、犬の散歩仲間が集ったり、近くのテニスコートで練習を終えた主婦たちがビールで喉を潤したり。

熱心に太極拳に取り組むお年寄りや、鉄棒の練習をしている親子連れ、ベンチに寝転んで、のんびり寛いでいるお父さんもみかけます。

そうした、なんてことない日常の風景を眺めながら、私は、一人コソコソ、その公園を通り過ぎるわけですが、これが不思議なことに、淋しいどころか、とても幸せな気持になるのです^-^。

そこには、一日を無事に終えた安堵感とか、開放感とか、一生懸命積み重ねてきた日々の暮らしが確かにあって、みなそれぞれ、帰る場所は別であっても、今、自分が生きていることを、そして今日まで無事に生きてきたことを、知らず知らずのうちに、互いに確かめ合って、明日を迎える準備をしている。

私のオリジナル曲 『地球の真ん中』の歌詞に

 ”こんな平凡で、飾らない毎日が
明日も 明後日も ずっとずっと
僕を支えますように・・・
いつまでも 続きますように・・・”

というフレーズがありますが、その公園を通る度に、そして、みんなの思い思いの姿に触れる度に、ふと、そんな願いにも似た気持が、胸に広がっていくのです。

夏祭りが始まれば、きっといくつもの鮮やかな浴衣の模様がゆらゆらと、梅雨明け間近の空を彩ってくれることでしょう。

我が家はそれを眩しく眺めながら、屋台の食べ歩きと行きましょうか。

どうぞ良い週末を♪ 

| | トラックバック (0)

2007年7月16日

ベランダの気がかり。

台風が各地に爪跡を残して去ったか去らないか、今度は地震です。

天災は忘れた頃にやって来る。

そうとも言えない短いサイクルで、ここのところ繰り返される自然災害に、なんとも不安な気持が押し寄せます。

明日から、所用で少々帰省します(地震の被害は無く、幸いでした)。

実家の母が、今月末に、耳の手術をすることになりました。

手術と言っても、耳のことですから、そんなに大掛かりなものではありませんが、ちょっとした装置を骨に埋め込みます。

骨導を利用する、新しい補聴器への挑戦です。

なかなか厳しく、そしてやっかいな道のりでしたが、ようやく決意&決定した次第です。

果たして聴力がどれほど回復するのか、術後を含めたあれこれ、心配の種は尽きませんが、母本人が気持を固めたことなので、あとは家族ができる限り協力して、なんとかいい方向に進めたらと、明日から、その下準備に行ってきます。

木曜日には戻る予定です。

さてさて、一方、留守中の私の心配事と言えば。

それはなんと言っても夫~・・・・・。

・・ではなく、夫が、ちゃんとゴーヤの面倒を見てくれるのか~?!という事なのであります。

ここまで大きく育てたのに、戻ってみたら、しんなり~、なんて悲し過ぎます。

ということで、たった3日とは言え、入念に、ベランダ管理のノウハウを伝授せねば!

そして戻ってきたら、いよいよゴーヤ1号を収穫するのであります~^-^!!

連休明けの一週間、また元気に、そして安全に過ごしましょう。

| | トラックバック (0)

2007年7月13日

ゴーヤ1号、カウントダウン。

台風4号。0712_5

沖縄では、随分被害が出ているようで、心配です。

これから明日にかけて、九州南部に上陸するとのこと。

自然の力は、時に人の暮らしを脅かしながらも、その一方で、たくさんの恵みを与えてくれる。

上手に付き合えたら一番いいのですが、なかなか予測のつかない、手ごわい相手であるのもまた事実。

この三連休も、荒れた天気になりそうで、油断できませんね。

我が家のゴーヤ1号、こんなに大きくなりました。

南を向かないベランダでも、しっかりいい色に育っています。

収穫間近のカウントダウンです。

毎日観察していますが、こうした小さなベランダでも、ゴーヤの花がたくさん咲くと、ちゃんと昆虫がやってくるんですね。

今朝も、ミツバチ、モンキチョウ、名も知らぬ虫たちが、いくつも雄花に体ごと突っ込んで、黄色い花粉をくっつけているところを目撃しました。

心配は無用のようです。

そして今朝、雌花2号が咲きました。そして、3号も、小さな顔を出し始めました。

今年何本収穫できるかわかりませんが、こうやって自然の営みを、身近に感じながら過ごす毎日は、知らず知らずのうちに、たくさんのパワーを吸収しているような気がします。

店頭にも、立派なゴーヤが既に出回っていて、ついつい手が出そうになってしまいますが(笑)、ぐっとこらえて、我慢我慢。

この夏最初のチャンプルーは、記念すべき、この1号で作りましょう。

そのためにも、暴風にやられないよう、しっかりベランダ対策しなくては。

備えあれば憂いなし。

くれぐれも台風の進路に注意しながら、良い週末をお過ごし下さい。

| | トラックバック (0)

2007年7月12日

ミラクル♪

思い起こせば、今年の2月。

引越しの準備に追われる中、ダンボールの山に囲まれながら、心の隅で暖めておりました。

そして、新しい住まいに移ってから、ここぞとばかりにピアノに向かって、一気に仕上げました。

こうして聴いてみると、我ながら、よっぽど富士山の見える家に住めるのが楽しみだったのでしょう。

久しぶりに、能天気なラブソングが出来上がった、という感じです。

そしてまた、大阪で歌えることが相当嬉しかったと見え、声、ひっくり返っております。

かなり、気合が入っている模様です。

ということで、やる気満々、大阪ライブの音源、よかったら、是非、聴いてください。

『ミラクル』

だって僕は 君を・・・

ゆっくり ゆっくり 二人の距離縮めよう
曲がりくねった 迷路のように

さっきの電話 誰から?なんて 聞かないけど
絡めた指 離さないで

夜のとばり降りた この部屋 パラダイス
グラス 浮かべ 一緒に飲み干そうよ

ねぇ 君は ミラクル Sweet
僕を惑わす マーメイドのフリ
夜空を泳げば

Ah 濡れた肌に 星屑 集めてく
なんて 君は・・・・

まっすぐ まっすぐ 二人のまま 始めよう
口ずさむ 愛のメロディー

夜のとばり浮かべた グラスにGood Night
街は やがて 灯り消して 眠りに落ちる

ねぇ 君は カラフル Sweet
僕を惑わす マーメイドのフリ
今宵も敵わない

Ah その唇 星屑 こぼれてく

Yes, this is power of miracle, which makes my heart warm
離れない

ねぇ 君は ミラクル Sweet
僕を 惑わす マーメイドのフリ
夜空を 泳げば

Ah 濡れた 白い肌 星屑 集めてく (<--こっちが正しいです^^;)
なんて 君は・・・・

ゆっくり ゆっくり 二人の距離縮めよう
曲がりくねった 迷路のように

だって僕は だって僕は 君を・・・・

| | トラックバック (0)

2007年7月11日

エネルギーの元。

私には、歌を歌う中で、自分なりに、あれこれ思い巡らせている目標があります。

いくつもあるけれど、それは、必ずしも到達できるものばかりではなく、中には、到底叶いそうに無い、でも、諦めることなく心に仕舞っている、そんな夢みたいな目標もあります。

歌を始めてしばらくして、どうしてもアンサンブルのライブがやってみたくなりました。

弾き語りではなく、誰かと音を合わせることで、自分の世界を広げてみたい。

そして、いつの間にか、それを叶えてくれたのが、茹蛸メンバーでした。

自分からアプローチしたとはいえ、こうして、音を合わせる素晴らしさに出会えたのも、茹蛸トリオのおかげです。

そしてまた、今年に入って立てた目標に、自分の足で、歌を聞いてもらいに出かけたい、というものがありました。

私の歌は、まだまだです。

待っていて、お客さんが集まってくれるような歌い手ではありません。

だったら、私が出かけていこう。

聴いてくれる人の待っていてくれるところへ出かけていこう。

そんな中、声をかけてもらった大阪ライブ。

気づけば、七夕の夜、本当に、知らない土地で、初めてのお客様の前に、歌いに出かけている自分がいました。

そして、きっと、これからにつながるに違いない、力強い縁をつかんで帰ってきました。

こうして、思っていることが、一つ一つ形になっていく時、そこには、いつも、誰かがいます。

その誰かが、知らない間に力を貸してくれるのです。

自分一人で、できること。

それは、もしかしたら、実際にはとても少なくて、ほとんどのことは、気づかないところで、誰かが助けてくれている。

そういうものなんじゃないかと思います。

そして、今、夢見たいな、到底叶いそうにない目標の、ほんのほんの、ほーんの入り口の、またその入り口の先にある、糸口・・みたいなところをみつけることができました。

思っても見ないタイミング。

人から見たら、どうしてそれが糸口になるのか、きっとわからないほどの、立ちはだかる遠い距離。

でも、取っ掛かりにできるかどうかは、これからの自分次第です。

焦らず、見失わず、得意の厚かましさで、少しずつ、距離を縮めていけたらいいなと思います。

叶う、叶わない、それ自体、本当は、重要なことではないのかもしれません。

自分なりの目標を持つこと、それが、まずは何より大切で、そして、楽しいものなのだと思います。

そうなったらいいな、と思う自分を想像する。

そこに生まれるエネルギーは、相当熱くて、強いはず。

体力増強をはかりながら、これからも、まだまだたくさんのエネルギーを心に貯めて、ずっとずっと歌い続ける、なんと言っても、それが私の、これからも変わることのない、一番の目標です。

| | トラックバック (0)

2007年7月10日

そして、京都・・・

・・・大原三千院~恋に破れた女が一人♪

恋に破れるどころか、市バスの中まで、しっかり旅を満喫したライブ翌日でした。

京都の街。

それは、私にとって、とても大切で、そして思い出深い場所のひとつ。

その昔、縁あって、何度も訪れる機会があり、その度に、いろいろなところに足を運びました。

以来、本当に久しぶりに降り立ったため、知っている街のはずなのに、なんだかとても新鮮な気持になりました。

今回訪ねたのは、以前から、一度行きたいと思っていた『円通寺』と、私が、京都の中で最も愛している『哲学の道』。

円通寺は、観光地としては、あまり知られていませんが、後水尾天皇の造った幡枝離宮跡で、霊峰比叡山の借景がまことに見事な禅寺です。

実際目にしたその佇まいは、想像していた以上に素晴らしく、枯山水の庭の向こうに見える比叡山の稜線が、なんとも言えずのびのびと、縁側からの奥行きに満ちた眺めに、気持がゆったりと寛いでいくのが、自分でもよくわかりました。

バス停から、円通寺までの道のりは、徒歩10分くらいでしたが、京都特有の蒸し暑さに、朝から、汗がにじむほど。

ですが、寺に入ったとたん、お香に包まれた、ひんやりとした空気に、すっと体中の汗が引いていき、日本の家屋は、まさに”夏をむねとす”。それを体感するひとときでした。

市内からは随分離れたところに在しているため、訪れる人もまばらで、皆、ただじっと無言のまま、縁側から、庭を眺めて時間をすごしていました。

私も、本当は、もっともっととどまりたかったのですが、心を残しつつ、哲学の道へ。

円通寺道から、再びバスを乗り継いで、銀閣寺道にて下車。銀閣寺に向かって、5分ほど坂を上ったところから、哲学の道は始まります。

銀閣寺への参道は、相変わらず観光客でごった返していましたが、哲学の道は、幸いにも、とても静かで、ゆったりと散策することができました。

ここの小径は、春には桜、初夏には蛍、秋には紅葉と、四季折々、やさしい趣を楽しむことができ、何度訪れても飽きることがありません。今回も、地元の子供たちが、脇を流れる疎水に網をおろして、何かを一生懸命に採っていました。

懐かしい気持に包まれながら、途中、法然院にも足を伸ばし、予定では、さらに、永観堂、南禅寺まで歩いていくつもりだったのですが、残念ながら、時間切れ。

後ろ髪を引かれつつ、真如堂前から、バスに乗り込み、昨日の日記の後半につながる、という展開です。

京都は、駅そのものも、以前とはドラスティックに変わってしまいましたし、竹林の伐採等、自然の景観を壊すような土地開発が進んでいるようで、いずれ、その町並みが、他と変わらない姿に変貌してしまうとしたら、それは、なんともいたたまれないですね。

束の間の、青春の思い出巡り?!を終え、一路新幹線に乗り込んだ後は、珍しく、自分のライブ音源を聞いてみました。

いつもだったら、決してすぐには聞く気になれない音源が、すんなり耳に入ってきたのも、京の風に、こころがほっこり緩んだせいでありましょうか。

さてさて、これから、しばらくは、大阪ライブの余韻に浸りつつ、また録音作業に専念しようと思います。

今週末は、とても久しぶりに、三蛸・集合予定です^^!なんだかとても楽しみだな。

・・・といっても、もちろん目的は録音の準備でして、決して、飲み会ではありません~!

| | トラックバック (0)

2007年7月 9日

七夕の縁。

今日は自宅にて、いつもの朝を迎えています。留守の間に、ゴーヤ1号もすくすく育っておりました^-^。

昨日、宿泊した京都から戻り、今、ようやく、大阪での時間を振り返っているところです。

今回のライブは、wataさん、Gan☆さんの企画された『七夕ライブ』という内容で、出演者はそのwataさん、Gan☆さんに、私を加えた3人でしたが、実際、当日はどうだったかと言うと、wataさんも Gan☆さんも、ご自分のことよりまず、何よりまずは、”私が一番歌いやすいように”、”私が思い切り歌えるように”、”私の歌をお客様に聞いてもらえるようにと・・・・”、そのことに、最初から最後まで心を砕いてくださったライブだったように思います。

そのおかげで、初めて会うお客様とも、真剣に向き合うことができ、私自身、思い切り気持を開放して、歌うことができたように思います。

今回は、もちろんいつも通り、自分なりの練習はしていきましたが、どんな会場で、どんな雰囲気のライブになるのか、まったく予想がつかなかったので、進め方や、MCなどは、あまり考えず、その場の空気の中で、自然に現れてくる自分を見せていこうと決めていました。

だから、どこかぎこちない内容になった部分もあると思いますが、私としては、1時間近い時間を歌い終えた後、なんだか体の中が軽くなった感じがしました(実際、体力消耗して、軽くなっていたと思いますが*^^;; )。

私の中の正直な本音を言えば、いずれは、”シンドウの歌を聴きたいから、シンドウに会いたいからライブに行ってみよう” というお客様で会場を一杯にし、その前で歌えたら、という目標、希望はあります。

でも、それはやっぱり、簡単な方法で実現させることはできないと思っています。

私が、音楽を通じてこれからも求めて行きたい事。

それは、パフォーマンスを見せるということだけに終わらず、やはり、人としての出会いであり、音楽にはまた、そうした縁を可能にする、不思議な力が宿っていると確信しているのです。

今回、宿泊は京都に取りましたが、昨日、ちょっと行きたいところがあって足の伸ばした先から、京都駅まで戻るバスの中、とても気持の良い青年と席を隣り合わせました。

京都生まれの京都育ちのその青年は、大変人懐っこい人柄の方で、今、神戸の音楽学校に通いながら、将来は音楽の道に進むことを目指してがんばっているのだということを、初めて会う私に、なぜだか一生懸命話してくれました。

そして、今日、買ってきたのだという、ジュリー・ロンドンのCDをカバンから取り出し、とてもうれしそうに見せてくれました。

京都駅に着くまでの、30分近い時間、私は、その青年と音楽の話をずっと続け、いつの間にか、自分が弾き語りをしていることも話し、気づいたときには、持っていた自主制作CDを、その青年に手渡していました(笑)。

家に戻ってみると、その青年から、”HPを見ました、CDをありがとうございました”、という、とても丁寧なメールが届いていました。

本当に、不思議です。

その日偶然バスの中で隣り合わせただけの縁なのに、音楽があったからこそ、こうして、京都に、また一人、”年下の男の子の友人^^ ”ができたのですから!

一つ一つの小さな出会い。

その積み重ねの先に、きっと私のやりたいライブの形があるのだろうと、それを確かめることのできた、七夕ライブだったように思います。

本当にありがとうございました。

☆曲目です
♪ ひとり言
♪ 雨上がり
♪ Karappo
♪ 横顔
♪ ミラクル
♪ みやこ忘れ
♪ 僕の陽だまり
♪ ゆくえ
♪ 大吟醸 with Gan☆さん&いっぺいちゃん

| | トラックバック (0)

2007年7月 7日

大阪歌い倒れ。

今日に限って、なぜにこんなに雑用が~ぁぁぁ・・・。

いろいろ書きたいことがあったのに、気づけば、日付は7月7日、七夕となりました。

明日は、いえいえ、今日は、いよいよ寝屋川でライブです。

どきどきだな~。

まずは、お店まで、ちゃんと辿り着かなければ。

新大阪に着いたら、次は、市営地下鉄御堂筋線に乗るのです。

そしたら、淀屋橋で乗り換えて、今度は、京阪電鉄の急行に。

後は、寝屋川市で電車が止まったら、右足左足、転ばないように降りればいいのです。

大丈夫です。

えぇきっと。

きっと大丈夫です。

お店に着いたら、みなさんに会えるのです。

楽しみに楽しみ~^-^。

そしてライブが始まったら、そこからはもう、倒れるまで歌うのみであります。

ということで、そろそろワタクシ寝なくては。

明日の今頃は・・・。

どこでどんな夢を見ていることやら~。

・・って、それはまさか路上ではないことを祈るばかりの私です。

それでは、みなさまお休みなさい~☆

| | トラックバック (0)

2007年7月 5日

夏の訪れ。

今日は、朝から、雨上がりの空。

久しぶりに、富士山が良く見えました。

先日、目にした折には、まだ雪が残っていて、白い部分が多かったのですが、今日は、もうすっかり夏の山に。

黒い山肌が、なんとも力強く、季節は、着々と巡っていることを実感します。

なんと言っても、もう、7月ですものね。

べランダのゴーヤも、あれから、また一つ雌花がつき、今度は、受粉にも成功!

まだ、目覚しい生長は見られませんが、前回失敗した時のゴーヤとは、ちょっと様子が違って来ています。

前回のゴーヤの元(?)は、花が落ちた後、今もって、その大きさを保ったまま、ぴーんと突っ張って、”前へ倣え”をした時みたいに、体を持ち上げているのですが、受粉に成功したと思われる方は、昨日あたりから、”直れ”の状態に。

力が抜けて、だらんと下に体を下ろし始めました。

これは、まだ想像の段階ですが、多分、これから大きくなるために、その体をちゃんと支えられるように、下に向いて、準備しているんじゃないかと思います。

こうして、毎日、しつこいほどに観察していると(笑)、植物の生態がいろいろわかって、本当に楽しいです。

葉っぱと蔓は、もう十分、日よけになる大きさに成長し、部屋の中から眺めても、とても涼しげで、これまた楽しいです。

週末は、ちょっと留守にしますので、その間に、このゴーヤ1号が、どーんと大きく生長していて欲しいような、欲しくないような~・・・。

貴重な梅雨の晴れ間、ここぞとばかりに、ベランダ仕事と、外回り(?)に精を出し、とってもお腹がすいた一日なのでありました。

| | トラックバック (0)

2007年7月 3日

当たり前とは。

数あるカメラ量販店の中、私がもっとも頻繁に利用しているのはビッ○カメラであります。

特に理由はありませんが、なんとなく相性が良いのと、近隣の駅前にあるため。

当然のことながら、ポイントカードも、長きに渡り使用しており、最近ではスイカと一緒になったカードまで作ってしまったくらいです。

がしかし、このポイント、実際には、ほとんど溜まったためしがありません。

まずは何より、そんなに高額なものは買わないし、加えて、毎回、必ず使ってしまうからなのです。

これはひとえに、せっかちな性格ゆえと、”あるなら使おう”、という単純な発想に尽きるわけで、そういう意味では、ポイントカードとしての醍醐味をあまり経験しないまま、現在に至っているとも言えます。

でも、ある日を境に、私は、そうした自分の行動に、ある種、確信に似た感情を持つようになりました。

2年前の7月5日。

それまで密かに応援していた、若いシンガーソングライターが、闘病の末、急性骨髄性白血病でこの世を去りました。

私は、その人のライブを2度見ただけで、後は、メールのやりとりと、その人のブログを、こちらが一方的に読んでいる、という間柄。

だけど、その死は、私にとっては、思いがけず衝撃が大きく、しばらくは、悲しい気持ちから抜け出せない時間が続きました。

その、シンガーソングライターが、闘病中に綴っていた日記の中で、ある日、興味深いことを書いていました。

それは多分、外出を許可された日の事に触れたものだったと思いますが、久しぶりに街に出たついでに、新宿のカメラ量販店に足を運び、何か購入したのだと思います。

その時レジで、件のポイントカードについて、溜まったポイントはどうするか聞かれ、その人は、迷うことなく ”使います” と答えたそうです。

そして、そう答えたとき、ポイントが使えるって、なんてすごいことなんだろう!と心から思ったのだそうです。

多分、それまでは”何の気なしに取っていた当たり前の行動が”、そして、”使うか使わないか選択できるという自由が”、病気になったことで、きっと”生きていることを実感する”大きなきっかけの一つになって、その人の心に映ったのだと思います。

その日記を読んだとき、私は、ふと自分のことを考えました。

無論、私自身、いつも、なんの考えも無しに ”使います” と答えていたつもりだったけれど、実は、無意識の意識、心のずっと奥のほうに、”次回があるかどうかはわからない” ”だから今のうちに使っておこう”、そういう気持ちも隠れているのかもしれないと、そのとき初めて感じました。

日常の暮らしは、当たり前の連続と、当たり前の積み重ね。

普段はそれを意識することはありません。

でも、当たり前であると思うのは、それが、明日も明後日も、同じように続くと信じているから。

明日には、無くなるのだとわかった瞬間、それは、当たり前から、特別に変わって行く、そういうものだと思います。

毎日の暮らしの中で、時間が有限であることを意識して生きていくことは、とても難しいけれど、また、それでいいのだとも思うけれど、何かの折に、その有難さに目を向けることは、無駄ではないと思うのです。

そのシンガーソングライターは、決してイケてはいなかったけれど(笑)、そして歌も決して上手ではなかったけれど、優しくて、切なくて、なぜだかまた聴きたくなる、なんだか放っておけない気持ちになる、とても不思議な歌を唄う人でした。

| | トラックバック (1)

« 2007年6月 | トップページ | 2007年8月 »