ピアノと私。
今日は、いろいろと所用があり、夏の日差し降り注ぐ中、紫外線を浴びつつ一日出歩いておりましたが、ここのところ、自宅・電子ピアノを前に、ため息・吐息に包まれている私です。
以前から、ずっと気づいてはいるのですが・・・。
私のピアノは、何かがおかしい。
何かが抜けてる。
何かが足りない。
何かが違う。
それはもう、ずっと思っていることなのですが、ここのところ、ますます、気になって仕方がないのです。
もちろん、拙いのは、言わずもがなですが、下手とだけでは言い表せない、何かこう、もやもやとした感じが、いつまでたっても否めないのですよね。
それで、何がおかしいのかを探るため、時間をみつけては、他の弾き語りの方の音源を聴いたり、映像を見たりして、いろいろ研究してみるのですが、どうも、これだ!という、具体的な答えがみつからないのです。
”弾くときの手首や腕の使い方が間違ってるのかな”とか、”リズムの取り方がぎこちないのかな”とか、”ピアノとの一体感が感じられないからかな”とか、もちろん数え出したら、問題点はキリがないのですが、それでも、どうもぴんと来る答えはみつからないままです。
なんていうか・・・、ピアノという楽器が本来持つ、優雅さ、軽やかさ、重厚さ、美しさのようなものが、いつまでたっても、ちっとも生かせないんですよね(・・、)。
もちろん、私のピアノはソロではなく、あくまでも、歌を表現するための手段の一つとして、もっとも身近でもっとも好きな楽器として用いているわけですが、それにしても、そろそろ、もう少し柔軟に弾けるようになりたい・・・というのが切なる願いです。
まぁ、音楽のことで、あれこれ悩むのは、私の趣味でもありますから、半分は楽しみつつ検討しているのですが、それにしても、どうして、自分が思っているイメージ通り弾けないのかな~。
いつだったか、とあるライブの後、初めて聴いてくださったお客様に、”あなたのピアノは、上手ではないけれど(-_-;)、ちょっとおもしろいピアノですよね。”って、言われたことがありまして。
正直、そのときは ”??”という感じで、”おもしろい・・>可笑しい・・>変わってる”と、どちらかというと後ろ向きな意味に捕らえた記憶がありますが、今ごろになって、その言葉の意味を、改めて考えているところです。
私のピアノは、いったい、どっちを向いて進んでいきたいんだろう。
自分の中から自然に出てくる表現の形と、頭で描いているピアノのイメージが合ってないのかな~。
いずれにしても、ピアノも、声・曲・詞と同様に、結局は私そのものなわけですから、私という人間が、今の私のピアノだということは間違いないのでしょう。
つまりは、私自身、何かがおかしい、何かが抜けてる、何かが足りない、何かが違う、ということに尽きるのかしら?!
悩める夏の日・・・答えを求めて、今宵もお腹が空くのです。
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