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2007年9月13日

『ゆれる』

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私の好きな役者が二人揃ったこの映画。

なんとしても観たいと思っていたこの映画。

ようやく先日、じっくりと鑑賞する機会を得ました。

私は、こういう映画、とても好きです。

観るものの心に、さまざまな波紋を投げかけながら、その役柄に、自然と感情移入させてしまう、人間の心の襞を丁寧に描き出した作品には、表し難き凄みのようなものが迸ります。

そして、見終わった後、なんとも説明のつかない気持が込み上げて来ます。

いずれにしても、オダギリジョーも、香川照之も、大した役者です。

人が生きていく上で直面する、いくつもの”事実”と”真実”。

この二つは、ほとんどの場合一致し得ないものなのだ、ということを、改めて考えさせられた気がします。

なぜなら。

”事実”とは、その場に横たわったまま、決して動くことも消えることもない現実。

でも”真実”は、全て人の心の内側にあって、”事実”とは、全く別のところに存在するもの。

人間て、事実を事実のまま受け止めることって、多分ほとんど有り得ないのであって、みな、自分の中に取り込むとき、少しでも理解し易いよう、少しでも辻褄の合うよう、何かを微妙に作り変えながら、それを記憶していくものなんだと思います。

そしてそれが、やがてはその人にとっての、たった一つの”真実”となって、心の底に溜まっていく。

この映画は、そうした、積み重なる”事実”と”真実”の間で、むなしく”ゆれる”心の葛藤、苦しさ、不条理のようなものを、兄弟の絆と愛憎に焦点を当てながら、冷酷かつ劇的に描き出している作品のように思います。

それにしても、あのラストシーン。

兄ちゃんは、なぜあんな風に笑うことができたのか・・・。

兄ちゃんは、一体どこに行こうとしていたのか・・・。

兄ちゃんは、果たしてあの後バスに乗ったのか、乗らなかったのか・・・・。

人の心はまさに闇。

でも、その闇にあってこそ、光もまた、何かを照らし、浮かび上がらせることができるもの。

”兄ちゃん”は”兄ちゃん”であって、”兄貴”でも、”兄さん”でもない。

それこそが、この映画を貫く、唯一の光であり、また救いだったのかもしれません。

機会があったら、是非!

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