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2008年1月30日

小さいけれど、手ごわいヤツ。

先週から、録音のために、ある楽器の練習を始めました。

なんだかんだと苦戦しています。

こんなのすぐにできるようになるさ!と高を括っていたのですが、実際に手にしてみると、これがなかなか難しく、すっかり嵌ってしまいました。

でも、昨日あたりから、だんだんいい感じになってきて、ピッチも大分つかめるようになって来ました。

電子ピアノの音にピッチをあわせる。

ピッチを自分でコントロールする楽器は、実に難しいものですね。

初めての経験です。

なんていうか、半分は”気合”・・なのかもしれません。

やっているうちにわかってきたのですが、楽器の持ち方、抑え方はもちろんのこと、あらかじめ ”あの音だ!”と、自分の中でしっかり描いてから鳴らすようにすると、不思議とそこを目指し易くなるのです。

ほんとかな・・・・?!

・・・えぇ、ほんとです。

気合です。

つまるところ、どんな楽器もカラダの一部。

ましてや息を吹き込む楽器となれば、それは自分のカラダで音を出す・・声と同じなんだと感じます。

まだまだ時間はかかりそうですが、なんとしてもこの楽器は自分で入れたいと思っているので、焦らず取り組むつもりです。

・・・なんて。

大げさなことを書いていますが、言うほど大した楽器じゃありません。

素直な子供の方が、案外上手だったりするかもしれません。

出来ないのは、単に私が不器用なだけ・・・^-^;。

というか、そもそもカラダが固いのがいけないのか?!

ならば漢方養生に、”柔軟プログラム”・・・を加えることが先かしら~。

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2008年1月27日

貫くこと、柔らかきこと。

美しすぎて、君が怖い~♪

そんな眩しいほどの富士山が、今朝も眼前に佇んでおります。

先週金曜日、浜田真理子さんのライブに行って参りました!

予想以上に素敵な”人柄&歌”に、ワタクシ、ますます惚れてしまいました(;-;)。

あっという間のひとときではありましたが、まるまる1時間、アンコールも含め、10曲も歌ってくれました。

瞬きするのも、惜しかったです。

実物の真理子さんは、思ったよりもずっとずっとかわいらしくて優しくて<私の中では、おっかないイメージが先行しておりましたゆえ(汗)>人として、女性として、本当に輝いておりました。

あの”声”は、あの”落ち着き”は、一体、どこから生まれて来るのでしょう。

たった一人舞台の上、グランドピアノと向き合う真理子さん。

”私の歌を聴いて、私の歌を受け止めて・・”

そういう気負いや主張が、全くと言っていいほど感じられず、本当に楽しそうにゆったりと、ただ歌いたいから歌っている。

ただ、歌があるから歌っている。

そんな柔らかい空気が、終始舞台を包んでいたように思います。

一方会場は、そんな真理子さんのペースとは裏腹に、曲を追うごとに引き込まれて行く。

私は、早目に到着した甲斐あって、最前列に座ったためv(^-^)v、他のお客さんの姿は見えませんでしたが、背中に押し寄せる拍手のパワーが、着実に、強く長くなって行くのを感じました。

真理子さんのライブは、真理子さんが、”歌と暮らしに貫くスタイル”そのまま。

故郷・松江の風をふわりと纏いながら、日常の延長に、気負い無く生み出される非日常。

ピアノも歌も、ものすごい実力なのに、その7割くらいを、ポンとどこかに置いたまま、残り3割で、苦も無く作り上げたように見せてしまう、ゆとりの世界。

だからつい、聴いている私も、さも、自分が舞台の上で歌っているかのような、そんな錯覚に陥ってしまう瞬間があったり。

でもそれは、あくまでも、”そう見える”だけであって、実際は、ものすごい”集中と消耗”のライブなのだと思います。

どこかのインタビュー記事に、『ライブのあとは、毎回具合が悪くなるから、いわゆるツアーのようなことは絶対に出来ない』と話していたのを思い出します。

24時間音楽に浸るのではなく、”(普段、別に持っている)仕事”や”家族”や”友達”や、そうした生活の調和の中からこそ生まれ出る音楽。

そのスタイルを貫くことの強さと柔らかさにもまた、私は惹かれて、そして憧れているのだということを確かめる夜でもありました。

いずれにしても。

いつか松江に聴きに行けたら・・とずっと思っていた真理子さんを、こんなに早く、こんなに身近なところで聴くことが出来た私は、本当にラッキーでした(東京でのライブは、いつもあっという間にチケット売切れてしまうのです)。

ライブ後は、真理子さんの姿は見えませんでしたが、つい勢い余って持参してしまった地元のお菓子を、受付の方にモジモジ(。・_・。)とお願いし、あとはひたすら八王子の駅へと家路を急いだのであります。

あぁ~、本当に素敵なライブだったな・・・・。

また会えるといいな。

いつか、やっぱり松江にも聴きに行っちゃうかもしれないな~。

その日を楽しみに、私も、今の私に出来ることを、まずは一つ一つやって行こう~。

☆ご参考までに、当日の曲目を浜田真理子HPから転写いたします。
CD未収録の曲を聴けて、感激でした。どれも素晴らしかったけど、特に、5.6.7.8の4曲は染みました~。”骨董屋”は、超カッコイイです!

1.愛の風(作詞・作曲:浜田真理子)※
2.爪紅のワルツ(作詞・作曲:浜田真理子)
3.この恋を捨てたら(作詞・作曲:浜田真理子)※
4.赤色エレジー(作詞:あがた森魚 作曲:八洲秀章)
5.雪が降る(作詞・作曲:S.Adamo 訳詞:安井かずみ)
6.骨董屋(作詞・作曲:浜田真理子)※
7.哀しみのソレアード(作詞:F.Specchia/M..Seimandi/A.Salemo
   作曲:Zacar/D.Baldan)
8.失恋ブルース(作詞・作曲:尾関真)
9.わたしたちのうた(作詞・作曲:浜田真理子)※
アンコール
純愛(作詞・作曲:浜田真理子)

※新曲(CD未発売)

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2008年1月25日

今宵、会いにゆきます。

お昼ごはんもそこそこに、玄米・白米、おにぎり作りに余念のない私です。

なんといっても今宵は、指折り数えた、楽しい外出が待っているのです。

夫居ぬ間のお出かけです。

あの人に、あの人に、憧れのあの人に会いに行くのであります~。

嬉しすぎます~。

夢見たいです~。

まさかまさか、島根から、はるばる多摩地区まで、歌いに来てくれるなんて。

思ってもみませんでした。

今宵、八王子は”いちょうホール”に、浜田真理子さんの歌を聴きに行ってまいります。

生・真理子、初体験です。

観覧無料・抽選方式での応募を知ったワタクシ、いの一番に葉書を出しました。

当たれ当たれと強く念じて、出しました。

その甲斐あって、無事に当選。

ようやくこの日がやって参りました。

映画の試写会に絡んでのライブなので、どれほど歌ってくれるのかはわかりません。

一曲だけかもしれません。

それでもいいのです。

生のピアノ、生の歌声を耳にできると思うだけで、もうどきどきです(>-<)。

サインなんかももらえるのかな~。

握手もしてもらえるのかな~。

地元のお菓子、差し入れに持って行っちゃおうかな~。

・・と、逸る気持ちを抑え切れない私ですが、舞い上がりすぎて、くれぐれも、会場を間違えないようにしなくては。

前科があるだけに、念には念を。

ところで。

件のおにぎりですが、気づいたら、なにやら15個も作ってしまいました^-^;

いえ、何、夫のため・・・というよりは、夜、家に戻ってから、自分が食べたいだけなのです。

たとえどんなに胸いっぱいになろうとも、お腹は間違いなく、空きますからね。

それにしても、ちょっと作りすぎたので、差し入れは、シャケのおにぎり・・でどうかしら・・・。

どうぞ良い週末を♪

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2008年1月23日

枯れる。

 聴きたい歌を作る
 聴きたい編曲にする
 聴きたいギターを弾く

 ああ、言葉ではなんと簡単なことなんでしょう!
 雑念なくあたりまえにこれが出来ることが、きっと枯れるということなんでしょう。

・・・・とは、とあるプロギタリストの、日記の一文です(勝手に引用しました。ごめんなさい。)

枯れる。

好きな言葉です。

辞書を引くと、

①草木の命が終わる ②長い修練によって、人柄や芸に深みや渋みが出てくる。

と出ています。

我が家のベランダでも、水を吸い上げ、枝葉を伸ばし、日の光を欲して止まなかった植物が、いつの間にか時期が来ると、静かに枯れ、一息つき、次の芽吹きの準備を始めます(今がちょうどその時期です)。

鮮やかな花を咲かせ、実をつける植物はもちろんですが、枯れた植物にも、同じように心惹かれます。

枯れた枝葉は、軽くて温かい。

土の上、ほっと力を抜いて佇む姿には、なぜだかとても安心感を覚えます。

人間も同じで、上手に枯れるということは、本当に必要なものだけを残して、余計なものは捨てて行く。

どんどん身軽になって、自分の中の、最もシンプルな色彩だけを晒していく。

そういうことなのかもしれません。

それが美しいと見えるかどうか。

すなわち、生き方そのものを表すことにもなるのでしょうか。

私の場合、まだまだ吸い上げたいもの、浴びたいものがたくさんあり過ぎて、欲張っている間に”枯れ時”を見失ってしまいそうではありますが(汗)、少なくとも最後は、土の上、ゆっくりのんびり手足を広げて、どこにでもある草花のように去れたらいいなと思います。

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2008年1月22日

『夢あたたかき』

先週末、我が家ベランダ近くの雑木林に、ついにコゲラ(きつつき)を発見しました!

興奮しました~。

慌ててオペラグラスで覗いたら、紛れも無く、木の幹に垂直に止まって、トトトトトーンと、素早くつついておりました。

おお~!

本物です^-^。

うれしか~。

そんな週末に、久世光彦著、向田邦子さんとの20年を綴ったエッセイ、『夢あたたかき』を読みました。

お二方がコンビを組んだ、お茶の間番組 『時間ですよ』 『寺内貫太郎一家』。

それはまさに、私がテレビの楽しさの入り口に立った作品そのものだけに、その当時を振り返りながら、私も、このエッセイを読んで、それなりに理解できる年齢になったのだなと、ちょっと感慨深いものがありました。

久世さんご本人が書かれている通り、二人の間柄は、おそらく《同志でもなく、戦友でもなく、師弟でもなく、ましてや男と女》でもなく、《いつまでも遊んでいたいのに、日が暮れるからと叱られて、街角で手を振り手を振り別れた幼馴染み》のようなものだったのでしょう。

二人の間に横たわり、20年の歳月に流れたもの。

それはきっと、”人と人”として、”付かず離れず大事にしてきた、尊敬と尊重の距離”だったのではないかと思います。

さりげなく、かつ意識的に、20年もの間、その関係を保てたということは、自分のこれまでを振り返ってみても、本当に凄いことだと思います。

エッセイ最後の章 ”さらば向田邦子”の中で、久世さんは ”向田邦子との時代を振り返り、向田邦子を書くことは、紛れも無く、自分自身を書くことだ”と記しています。

向田さんの目になって、当時の自分を見ている自分がいる。

そのころ向田さんが、自分をどう思い、何が腹立たしく、何を許せたか・・。

そのことが少しずつわかってくることが、そこに何かしらの答えが出てしまうことが、たまらなく辛いし、怖いのだと。

人と人とが、男女の性や、年齢を越え、人間どうし向き合いながら、”最後にかき混ぜてみたら、ちょうどいい温度だった” というような間柄で、長きに付き合えるということは、大げさなようですが、奇跡に思えてなりません。

お互いの努力もあってこそ。

でも、それだけでは語れ尽くせない、見えない糸の縁と言えるのでしょうね。

ところで、このタイトルの『夢あたたかき』とは、歌人 山川登美子の歌からとっているそうです。

     父君に召されて去なむ永久(とことは)の
     夢あたたかき蓬莱(ほうらい)のしま

山川登美子とは、与謝野晶子と朋友で、鉄幹を争って涙を飲んだ、晶子とは対照的な、引っ込み思案で幸薄き、短命の歌人だったそうです。

向田さんの中には、晶子も登美子も、その両方が棲んでいた。

そのことが幸せであり、最後まで、そのどちらにもなれなかったことが不幸だった。

久世さんは、そう括っています。

そしてついでに・・・と、山川登美子の歌をもう一首。

      をみなにて又も来む世ぞ生まれまし花もなつかし月もなつかし

向田さんならこう答えるだろう・・・ともう一首。

      をみなにて又も来む世ぞ生まれまし酒もなつかし人もなつかし

いつの時代も、”いい女”と言うものは、”酒”とは離れられないさだめなのでありましょうか・・。 

また一週間、元気にがんばります!

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2008年1月18日

風は無くとも。

今日は我が家に、楽しくも巨大な荷物が届きました。Earo_3

”なりたいワタシになろう♪” 

そんな心誘うキャッチフレーズのついた、室内用エアロバイクでございます。

”体力増強” ”花粉撃退”を目指している私ではありますが、ついにこんなものまでも~・・・!?

びっくり仰天!

なんて。

なんだかんだと日々の買い物で、結構な距離を歩き回っております私の場合、これ以上漕ぐと、むしろ消耗し過ぎとも言えまして、使うのは、他でもない、実家の母なのであります。

昨年、手術の上取り付けた骨導補聴器も、思ったほどの効果が得られず、相変わらず、一人では外出できない状態が続いているため、何より気がかりなのは、体力の低下です。

頭鳴は、いかに辛くとも、命を左右するものではありませんが、今のように、家の中にばかり閉じこもっていては、足腰の衰えは目に見えており、早晩、自立できなくなってしまいます。

正月の帰省の際、家族でいろいろ検討し、母を連れてスポーツショップを訪れましたところ、偶然巡り合った、このエアロバイク。

どういうわけだか、いたく気に入ってしまった様子。

もともと”自転車好き&アウトドア派”の母ゆえ、たとえそれが家の中であろうとも、”ハンドルを握って漕げる・・”という、その点に、すっかり心惹かれてしまったのでしょう。

これが部屋にあれば、毎日庭に向って漕ぐ!と豪語しているため、実際その運動効果のほどはわかりませんが、ともあれ購入し、やれるところでやってみようと、東京に戻って、ネットを検索。

母一人では受け取りもできませんので、ひとまずこっちで手配することに。

・・・ということで届いたのが、かのエアロバイクなのであります。

それにしても、まさか、自宅にこんなものを届けてもらうことになろうとは。

ただでさえ、荷物の多い我が家。

どこに置いておけばいいのさ・・。

・・・と少々困惑しつつも、せっかくなので、実家に運ぶ前に、一度組み立てて、ちょっと漕いでみようかとも思っている私なのであります^-^;。

自宅でフィットネス。

なんだか素敵です。

富士山に向って漕いで漕いで~。

すっかりはまって、もう一台!

・・・なんてことにはならないと思いますが、もしかして、”なりたいワタシ”になれるのかしら。

ちょっと楽しみです。

どうぞ Good&Wellness な週末を!

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2008年1月17日

好きな一日。

今日は、とても冬らしいお天気です。

昨晩に続き、朝方は小雪がちらちら。

空気は冷たく凍えているけれど、透き通って、青味を帯びた空。

こういう日は、いつも以上に家で過ごす時間が愛おしいです。

もともと、押しも押されもせぬ”インドア派”の私でありますが、冬のこんな一日は、家に籠もって、益々、いろんなことに思いを馳せてしまいそうです。

先週末、岩橋さんと、長時間のスタジオ入りで、いい具合に茹って参りました。

そしてまた、私の中で、たくさんのものが生まれました。

音とは不思議なものですね。

頭で考えているだけでは、決してわからない心象風景。

それを一瞬にして描き出してしまう。

百の言葉を尽くされるより、たった一音”身体”で感じること。

それが、どれほど大きなイメージの源になり得るか。

それはおそらく、”聴く”というより、”見る”という感覚に近いもの。

それこそが、まさに”音の楽しさ”であり、”音の力”、と言えるのかな。

果てはないですね。

好きなことなら、なおさら。

好きなことを、好きなだけ考えられる一日。

”毎日がお休み”の私とて、そう頻繁には無いことなので、今日は存分に浸ろうと思います。

もちろん、傍らには”大好きなお菓子の山”を、ばっちり高く積み上げながら~・・・♪

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2008年1月15日

『ソラうたVol.24』 ”ティアラこうとう”でスタート♪

3月・4月、それは鬼門。

なぜなら、あの・・辛く悲しい花粉の嵐が舞い散るから。

それを理由に、なんだかんだと、毎年歌うことを避けて来た私であります。

でも・・・。

今年の私は違います(^~^)!

花粉を恐れて、素敵なチャンスを逃すわけには行きません。

花粉が飛ぶなら、飛ばしましょう。

私は、それに負けない身体を作ればいいのです。

よ~し!!

・・・ということで、3月8日(土)、今年の歌い始めは、ondeji主催 『ソラうたvol.24』in ”ティアラこうとう”に決まりました。

『ソラうた』

その出会いは、私が弾き語りを始めた2004年の夏。

緊張に打ち震えながらも、無我夢中で歌った自分を、昨日のことのように思い出します。

翌年の冬に2度目の出演。

以来ご縁が続いて、またこうして演奏の機会に恵まれたこと、本当に嬉しく思います。

ondejiスタッフ皆様の丁寧な音作りと、”ティアラこうとう”の素晴らしい環境。

その中で歌えること、今からとても楽しみです。

☆3月8日(土)
☆場所:ティアラこうとう 小ホール  〒135-0002 東京都江東区住吉2-28-36 
☆Open 17:00~ Start 17:30~
☆入場料:2000円(前売り1800円)
☆出演は、4組を予定しています。

詳細は、決まり次第お知らせいたします。

あと2ヶ月。

漢方養生その他総出で、花粉対策に奮闘いたします。

楽しい時間を過ごしていただけるよう、練習も、もちろんしっかり続けます。

春の匂いも立ち始める3月初旬。

お時間ありましたら、是非、ティアラこうとうまで遊びにいらしてください。

みなさまにお会いできることを、心より楽しみにしています。

また一週間元気にがんばりましょう。

私は、引き続き、録音に燃えます!

メラメラ~・・・・。

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2008年1月10日

茨の道は続く。

年も明け、最初が肝心。

ということで、早速、MTRと格闘する日々を迎えています。

明日にしよう・・・明後日にしよう・・・と先延ばしにしていると、いつまでたっても実行できないのが録音作業。

思い立ったら即行動。

今年の私は違います!

・・・ホント?!

いよいよ、と言いますか・・ようやく、と言いますか、昨日から、”ピアノ弾き語り”の曲にも取り掛かり始めました。

そして、既にどっぷりと暗闇に陥っております。

苦しい。

つらい。

悲しい~。

自分のピアノと向き合うこと。

それは孤独で過酷な時間。

ピアノ弾き語り曲は、自分一人の作業だから、集中して取り掛かれば、一気に完成できるに違いない・・・と甘く考えていた私は、誠にバカなのでありました。

ピアノ。

それは、私にとって、最大の壁。

そのことを忘れておりました。

昨日一日で、すっかり意気消沈してしまった私は、今日は、どうにもピアノの前に座る気にならず、楽器一つ”弾き語る”ことの難しさをひしひしと感じている次第です。

ピアノ。

それは私にとって、なくてはならないもの。

これからも、ずっと一緒に歌って欲しい、かけがえのない相棒。

なのに、悔しいほどに、思う通りに響いてくれない堅物。

指が20本あったらもっと上手に弾けるのかな~(・・、)。

蛸になりたい。

がんばります。

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2008年1月 8日

雷電くるみの里

車であちこち遠出をするとき、楽しみの一つに”道の駅”がありますが、中でも私のお気に入り。

それは、長野は東御市にある、『雷電くるみの里』です。

軽井沢経由で帰省する際には、毎回必ず立ち寄って、おいしいくるみやくるみ製品を買い込みます。

くるみはもともと大好きで、家でもよく食べますが、そのほとんどが輸入品(主にアメリカ)。

普段、国産品、しかも信濃くるみはなかなか手に入らないため、ここぞとばかりにたくさん買いたくなってしまうのです。

それはなぜか・・・?

それは、言うまでもの無く、味が全く違うからなのであります!!

海外産のくるみと、信濃のくるみ。

カニカマと蟹缶の違いは、あまりよくわからない私ですが、くるみの違いは、100%言い当てる自信があります。

子供のころ、”マドレーヌ”なる洋菓子は、めったに食べられない憧れのおやつでありましたが、そのおへその部分にちょこんと飾られていた”くるみ”。

今にして思えば、あれはまさしく信濃くるみだったに違いありません。

子供心に、あの素晴らしい風味は忘れられず、マドレーヌと言えばくるみ、くるみと言えばマドレーヌ・・・。

・・・と深く脳裏に刻まれてしまった私は、くるみの味にはいささかうるさいのであります。

(最近のマドレーヌには乗っていないですね)

くるみ博物館HPによると、信濃くるみのほとんどは、東御市で作られたもので、現在その種類は24にも上るそうですが、『雷電くるみの里』の”情報コーナー”にも、いくつかの実物が展示されているので、その様子がよくわかります。

Kurumi_2

今回も殻付きのくるみをどんと買い込みまして、写真の”くるみ割り専用道具(これはとても便利)”で、毎日少しずつ割っては楽しんでおります。

たかがくるみ。

されどくるみ。

懐かしくもおいしいものに出会えるとき、それは日々の暮らしの潤い。

ところで。

”雷電為右衛門”と言えば、信濃の誇る、天下無双の名力士でありますが、これまで何度も立ち寄った道の駅なれど、”雷電展示室”には、まだ一度も足を踏み入れたことの無い私は、やっぱりただの”おつまみ好き”、なのでありましょうか・・。

お近くにお越しの際は、是非立ち寄ってみてくださいね。

くるみ餅&くるみ味噌もお薦めです♪

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2008年1月 7日

日々是、うた。

この静麗な朝の この山峡の空の静けさ・・・

空しいひと日 しかし楽しいひと日・・・・   (三好達治に触れた新聞コラムより)

正月の帰省は、終わってみると、ふとそんな気持ちになることがあります。

ふるさとで、家族が集まれる喜びと、凛とした空気が、自分を叱咤する緊張感。

その一方で、東京での毎日を恋しく思う自分。

その両方に向き合いながら、それが一体どこから始まっているのか。

その足元を、改めて見つめ直して帰ってきたように思います。

そして、少しずつだけど、確実に変わって来た自分を感じています。

一年前の正月は、相変わらず不安の方が大きくて、まだまだたくさんの迷いを抱えていました。

どこに向って進めばいいのか、何を探して進めばいいのか。

もちろん、それは今も同じ、わからないままです。

でも・・。

”わからなくてもやりたい” ”わからないからこそやりたい”

目の前の、そしてずっと遠くの、一つ一つに向って、とにかくやれることをやり続けたい。

そういう気持ちが生まれてきています。

人生は、なんて短いものだろう。

それを思う毎日です。

60年でも90年でも、それは大して変わらないもの。

人が生きた軌跡は、終わってみれば、おそらくどれも同じところに戻って行く。

終わってしまえば、あの人の人生も、私の人生も、きっと思うほどには違っていないもの。

だからこそ、生きている間、その一日一日を自分の中でちゃんと確かめて行きたい。

月並みではありますが、心からそう思う、2008年初頭です。

さて!

今週末は、今年最初の音あわせです。

今からとても楽しみです^-^*。

時間をみつけて、しっかり準備をしなくては。

七草粥ならぬ、”小松菜間引き・若菜粥”を食べて、また元気に邁進していきたいと思います。

本年もよろしくお願いいたします。

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