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2008年1月22日

『夢あたたかき』

先週末、我が家ベランダ近くの雑木林に、ついにコゲラ(きつつき)を発見しました!

興奮しました~。

慌ててオペラグラスで覗いたら、紛れも無く、木の幹に垂直に止まって、トトトトトーンと、素早くつついておりました。

おお~!

本物です^-^。

うれしか~。

そんな週末に、久世光彦著、向田邦子さんとの20年を綴ったエッセイ、『夢あたたかき』を読みました。

お二方がコンビを組んだ、お茶の間番組 『時間ですよ』 『寺内貫太郎一家』。

それはまさに、私がテレビの楽しさの入り口に立った作品そのものだけに、その当時を振り返りながら、私も、このエッセイを読んで、それなりに理解できる年齢になったのだなと、ちょっと感慨深いものがありました。

久世さんご本人が書かれている通り、二人の間柄は、おそらく《同志でもなく、戦友でもなく、師弟でもなく、ましてや男と女》でもなく、《いつまでも遊んでいたいのに、日が暮れるからと叱られて、街角で手を振り手を振り別れた幼馴染み》のようなものだったのでしょう。

二人の間に横たわり、20年の歳月に流れたもの。

それはきっと、”人と人”として、”付かず離れず大事にしてきた、尊敬と尊重の距離”だったのではないかと思います。

さりげなく、かつ意識的に、20年もの間、その関係を保てたということは、自分のこれまでを振り返ってみても、本当に凄いことだと思います。

エッセイ最後の章 ”さらば向田邦子”の中で、久世さんは ”向田邦子との時代を振り返り、向田邦子を書くことは、紛れも無く、自分自身を書くことだ”と記しています。

向田さんの目になって、当時の自分を見ている自分がいる。

そのころ向田さんが、自分をどう思い、何が腹立たしく、何を許せたか・・。

そのことが少しずつわかってくることが、そこに何かしらの答えが出てしまうことが、たまらなく辛いし、怖いのだと。

人と人とが、男女の性や、年齢を越え、人間どうし向き合いながら、”最後にかき混ぜてみたら、ちょうどいい温度だった” というような間柄で、長きに付き合えるということは、大げさなようですが、奇跡に思えてなりません。

お互いの努力もあってこそ。

でも、それだけでは語れ尽くせない、見えない糸の縁と言えるのでしょうね。

ところで、このタイトルの『夢あたたかき』とは、歌人 山川登美子の歌からとっているそうです。

     父君に召されて去なむ永久(とことは)の
     夢あたたかき蓬莱(ほうらい)のしま

山川登美子とは、与謝野晶子と朋友で、鉄幹を争って涙を飲んだ、晶子とは対照的な、引っ込み思案で幸薄き、短命の歌人だったそうです。

向田さんの中には、晶子も登美子も、その両方が棲んでいた。

そのことが幸せであり、最後まで、そのどちらにもなれなかったことが不幸だった。

久世さんは、そう括っています。

そしてついでに・・・と、山川登美子の歌をもう一首。

      をみなにて又も来む世ぞ生まれまし花もなつかし月もなつかし

向田さんならこう答えるだろう・・・ともう一首。

      をみなにて又も来む世ぞ生まれまし酒もなつかし人もなつかし

いつの時代も、”いい女”と言うものは、”酒”とは離れられないさだめなのでありましょうか・・。 

また一週間、元気にがんばります!

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