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2008年5月21日

『水になった村』

Mizuninattamura

写真家・映画監督の大西暢夫さんが、15年にわたって通い、撮り続けた、旧徳山村とそこに暮らす、ジジババの生き様を追った記録本。

写真集でも、エッセイでもなく、敢えて言うならドキュメンタリー。

でもそれともちょっと違う、とても濃密な一冊。

この本を読むまで、私は、徳山村のことも、徳山ダムのことも全く知りませんでした。

そして、読んだ今、これまでにない、自分の中の感情が沸々と何かを発しているのがわかります。

それは、決して激しいものでも熱いものでないけれど、とても確かなもの。

ダムに沈んだ村は、徳山の他にもいくつもあり、これは”その一例に過ぎない”と片付けてしまうこともできますが、”自治体規模”で、1500余の人々の暮らしが、山や川とともに、大きく形を変えていったその現実を知ることは、決して無駄ではないと感じます。

徳山ダム建設のための調査開始が1957年。

完成が2007年。

この50年は、長かったのか、ダムは本当に必要だったのか・・。

いずれにしても、その50年の間に、日本という国そのものが、さまざまな意味において、舵取る方向を見極めきれないまま、迷いながら、探りながら進んできた、その道筋の一端をえぐり出しているのかもしれません。

この本には、”ダム建設や廃村の時系列的な経緯”、”地形・地図”のようなものが記されていないため、それらが頭に入っていない私には、少々読みにくい部分もありました。

ページを行ったり来たりしながら、最後になって、ようやく、その景色が一つになったようなところがあります。

でも、それこそが、大西さんの(意図せぬ?)意思だったのではないか。

大西さんは、決して、ダムの是非を問いたかったわけではなく、ましてや、村の悲劇をドラマティックに仕立てたかったわけでもなく、ただただ、そこにあった、ジジババの暮らしと、その暮らしが培ってきた歴史を、自分の目と身体と心を通して、誰かに伝えたかった。

東京から500キロの距離、バイクに乗って、15年もの歳月、ジジババに会いたい、村の懐に触れたい、その一心で、通い続けたこの写真家。

私は、今とっても興味が湧いています。

いずれかの機会を見つけて、ご本人に会えたらいいなぁ・・・。

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