『水になった村』
写真家・映画監督の大西暢夫さんが、15年にわたって通い、撮り続けた、旧徳山村とそこに暮らす、ジジババの生き様を追った記録本。
写真集でも、エッセイでもなく、敢えて言うならドキュメンタリー。
でもそれともちょっと違う、とても濃密な一冊。
この本を読むまで、私は、徳山村のことも、徳山ダムのことも全く知りませんでした。
そして、読んだ今、これまでにない、自分の中の感情が沸々と何かを発しているのがわかります。
それは、決して激しいものでも熱いものでないけれど、とても確かなもの。
ダムに沈んだ村は、徳山の他にもいくつもあり、これは”その一例に過ぎない”と片付けてしまうこともできますが、”自治体規模”で、1500余の人々の暮らしが、山や川とともに、大きく形を変えていったその現実を知ることは、決して無駄ではないと感じます。
徳山ダム建設のための調査開始が1957年。
完成が2007年。
この50年は、長かったのか、ダムは本当に必要だったのか・・。
いずれにしても、その50年の間に、日本という国そのものが、さまざまな意味において、舵取る方向を見極めきれないまま、迷いながら、探りながら進んできた、その道筋の一端をえぐり出しているのかもしれません。
この本には、”ダム建設や廃村の時系列的な経緯”、”地形・地図”のようなものが記されていないため、それらが頭に入っていない私には、少々読みにくい部分もありました。
ページを行ったり来たりしながら、最後になって、ようやく、その景色が一つになったようなところがあります。
でも、それこそが、大西さんの(意図せぬ?)意思だったのではないか。
大西さんは、決して、ダムの是非を問いたかったわけではなく、ましてや、村の悲劇をドラマティックに仕立てたかったわけでもなく、ただただ、そこにあった、ジジババの暮らしと、その暮らしが培ってきた歴史を、自分の目と身体と心を通して、誰かに伝えたかった。
東京から500キロの距離、バイクに乗って、15年もの歳月、ジジババに会いたい、村の懐に触れたい、その一心で、通い続けたこの写真家。
私は、今とっても興味が湧いています。
いずれかの機会を見つけて、ご本人に会えたらいいなぁ・・・。
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