『心中天網島』
1969年 篠田正浩監督。
これは、どえらい作品です。
そもそも、武満徹氏が音楽をつけている、ということに興味を持ち、手にした映画だったのですが、思いがけず凄いもので出会ってしまった・・・。
原作は、近松門左衛門の浄瑠璃で知られる物語ですが、これを、モノクロの、虚構とリアリズムの狭間を行き来する、独特の世界観で表現しようと試みているのがこの映画。
”これは一体なんなのだ?!”と、呆気に取られているうちに、気づくと最後まで引き込まれている・・・。
そんな感じです。
冒頭、篠田監督と、脚本の富岡多恵子との電話のやりとりで始まり、そのバックに、浄瑠璃の人形や、人形使いたちが象徴的に切り取られて映し出されて行く場面から、一転、義太夫の『心中天網島~』という語りの声で、本編へと繋がれていく。
本編も、人間と小道具以外は、敢えて、仮のセットで設えてあり、要所要所に、なぜか黒子が現れては、物語の節目を仕切って行く。
なんとも不思議な作り込みだけれど、その虚構性が、返って、物語の生々しさを際立てているようで、本当、凄みのある作品だと思いました。
主演の岩下志麻は、一人二役(遊女小春と、その恋仲にある紙屋治兵衛の本妻役)で、その役柄の演じわけがまたすばらしい(演技そのものは~・・・ちょっと若いか?)。
肝心の音楽は、というと、これが意外な展開・・・であるけれど、怖いくらいに嵌っている。
武満氏自身が、
『男と女が恋のために死ぬ、というエロスの一番の原点に行くと、平均律で調律された近代西洋音楽は絶対に、はねつけてしまう』
『江戸時代には、原始的で、芸術的な人間のスピリットはやバトスがある一方で、ものすごく洗練された町人文化もあった』
『現代映画から見たら、ある意味で古代と現代が全く矛盾なく存在している。映画のラッシュを見て、すぐそう思った』(『武満徹を語る15の証言』より)
と語っている通り、使われている音楽は、ガムラン、琵琶、アフリカの民族楽器や、トルコの笛、太鼓・・。
実は、武満氏自身が作曲したものは一つも無くて、全て、市販の民族音楽のレコードなどをサンプリングして用いたのだとか。
確かに、全体を通して見た時、音楽の入っている部分は、決して多くはないのだけれど、その象徴的な音色と場面がリンクして、妙な余韻に引きずられていく感じ。
音楽以外にも、美術が重要な役割を担っていて、浮世絵や仮名文字を大胆に用いた、町並みや、紙屋の内部をデフォルメしたセットの映像が圧巻。
最後まで目に焼きついて離れなくなってしまいます。
近松の原作を最も意識した作品、と評され、後に、人形浄瑠璃や歌舞伎にも、少なからずの影響を与えた、古典復活の契機とも位置づけられている、ある種実験的映画。
その当時、ほとんど予算の無い中で、そうそうたるメンバーが結集し、苦心して生み出した作品だけに、今見ても、その迫力と斬新さが際立つ、一見の価値ある芸術と言えるのではないでしょうか・・・。
昭和44年、封切時は、《十八歳未満お断り》映画に指定されていたそうですが、そんなこんなの場面も含めて(?!)、興味のある方もない方も?、機会がありましたら、初夏の一夜に、是非ご覧下さいませ~。
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