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2009年9月30日

右脳的暗譜。

ワタクシ・・・

こう見えて(?)、幼い頃、10年ほどクラシックピアノを習っておりました。

その後、30年近いブランク(数字詳細、突っ込み不可ヨ)。

弾き語りをやりたいがために、衰え行く脳細胞に鞭打って、そのピアノを再開したわけですが、当時の自分を思い起こし、”なるほど、そういうことだったのか”と、この頃改めて思うことがあります。

それは・・・暗譜。

先生について習っていた頃、何より苦手で、避けたかった。

それが暗譜。

どちらかと言うと、”初見”が効いたこともあってか、ある程度弾ける様になると、やがてその曲自体に飽きてしまい、”読み込み”、”弾きこみ”、”暗記”する、という、根気のいる地道な作業に入る前に、気づけば、次々、新しい曲へと興味が移っていた。

そんな自分を思い出します。

それが証拠に、習っていた10年のうち、暗譜必須の発表会には、後にも先にも、たったの一度しか出たことがない。

その当時から、面倒なことを避けて通る術を得ていたのかと思うと、我ながら情けなくなります。

それで。

それが今の自分とどう繋がっているのか、という話ですが、今やっている弾き語り。

これは、自分で曲を作ります。

作りますが、私の場合、基本的に、楽譜も、コード譜も、歌詞カードも起こさないため、必然的に、歌うときには、目の前に何も置きません(なんか、こうして書くと、ものすごく自慢げに聞えますが(涙汗)、決して、そういうことではないのです)。

これって、一見暗譜のようにも見えますが・・

見えますが・・

しかしこれは、暗譜ではない、と思うのです。

暗譜とは、客観的に、文字や音符に書かれたものを、まずは視覚的に捉え、それを理解し、暗記し、自分のものに変えていく。

そうしたいくつもの地道な工程を経て、体の隅々まで叩き込んでいく。

私の場合、音も言葉も、その発端は全て自分の中にあり、それを一度も”客観的な形に変えることなく”、自分の中だけで記憶している。

いわゆる自己流・自己完結、なのですよね。

これって。

何かが決定的に欠けている・・ような気がするのです。

この課題については、もう随分前から自分でも気づいておりまして、日記にも何度か触れたことがありますが、それ以来、何も対策は講じていない、というのが現状です(汗)。

それなりに増えていく曲数。

反比例して減って行く脳細胞。

いくら自分の曲とは言え、もう少し、客観的、視覚的な方法で、自分の中に刻み込んでおかないと、いずれは行き詰ってしまうのではないか。

そうした不安に駆られます。

ポーランドのピアニスト、ルービンシュタインは、

『弾きながら、私は心の中で、楽譜のページをめくって行くんです。もちろんそこについているコーヒーをこぼしたしみのあとも、くっきり目にうかんできます』

と語ったそうですが、”真の暗譜”とは、それほどまでに、険しくも厳しい茨の道。

自作・自演、趣味の弾き語りでは、まさかそこまでの道のりは必要ないとしても、今後とも長く歌い続けるためには・・・。

どうしたらいいのか。

願わくば、お肌のしわを、一つ残らず脳みそへ。

今後ますます、いろいろな面で立ちはだかるであろう年齢の壁を、なんとか一つ一つ乗り越えつつ、細く長く歌って行きたい。

改めてそう思う、今日この頃なのでありました。

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