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2011年5月30日

『作庭記』

”地形により、池のすがたにしたがいて・・・(中略)・・その所々はさこそありしかと、おもひよせよせたつべきなり”

<庭を作るとき、その土地のもっている本来の形や、最初からそこにある池に対して、どのような姿が自然であるか、というこを考えながら作れ。>(・・というほどの意味でしょうか)

11世紀に書かれた、日本最古の庭園書の一文です。

この『作庭記』に触れ、文化庁長官の近藤誠一さんが、興味深いことを書いていました(以下要約)。

【西欧の庭園に共通しているのは、”直線や円、左右対称などの幾何学的形態”で、これは、人間の美意識を自然界にはめ込もうとする、強い主張の表れ。このことは、西欧が”科学技術を自然を制御する手段として使おうとした”ことに通ずる。】

【一方日本人は、古来自分を自然の懐の中に位置づけ、あるときはその恵みを受け、あるときは、その猛威に頭を垂れてこらえつつ、次の恵みを願った。自然を支配することなど考えてもみなかった】

【ところが、この150年(※開国以来)、我々は自然を制御することで快適さを追い求めてきたが、それが思い上がりであり、日本の伝統に沿ったものではないことを、今回の震災で悟った】

東北の被災地の方々は、今後の安全のため、住まいを高台等に移すにせよ、”地元の自然を害すること”は、決して望んでいないし、それは取りも直さず、”その土地の景観に誇りを持ち、それらと一体となった生活を送ることに喜びを感じ、生きた景観を継承してきた”、という自負があるから。

東北の人々の心の中には、平安時代に作られた『作庭記』の精神が、しっかりと根付いているということなのですね。

近藤さんは、”エネルギー源を含め、生きた地球との共生の道を探る人類の課題には、我々が先人から受け継いできた知恵が貢献する。”

と結んでいます。

今回の震災で、私たちが経験したことは、”私たち日本人が、もう、長い間忘れていたにも拘らず、体の中にしっかりと受け継ぎ、生き続けていた先人の心”を、改めて知る機会になった。

それはまことに確かなことだと感じます。

これから先、一人一人が、まずはそれらを守り育み考え続けることで、いずれは、大きな力になり、やがては日本という枠を超え、何かを、誰かを動かすことができたら。

おおげさかもしれないけれど、私たち日本人にしかできないことが、必ずある。

まだまだ小さな芽にさえなっていないものだけれど、まずはそう信じることが、今は必要なのではないかと思います。

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