混沌のエネルギー。
作家の堀田善衛は、60年ほど前のとある対談で、”混沌”と”混乱”は違う、
『混沌というのは、何か充実した、力に満ちたものという感じがある。けれど、混乱というのは、それ自体に物を生み出す力がない。前にも後ろにもつながらない』
と発言したのだそうです。(新聞コラムより)
”混乱の中では立ちすくみ、混沌の中では立ち向かう。”
そう言い換えることもできるのかもしれません。
”混沌”という言葉の所以ともなった、荘子の応帝王篇「混沌王の死(※)」は、有名なお話ですが、穴を持たない混沌王の体の中には、得体の知れないエネルギーが充満し、そこには、人為の及ばぬ摂理が保たれていたのでしょうか。
(※)南海の帝を儵(しゅく)といい、北海の帝を忽(こつ)といい、中央の帝を渾沌(こんとん)といった。儵と忽とは、その渾沌の恩に報いようと相談し、「人間にはだれにも 目と耳と鼻と口との 七つの穴があって、それで見たり聞いたり食べたり息をしたりしているが、この渾沌だけにはそれがない。ためしにその穴をあけてあげよう」ということになった。そこで一日に一つずつ穴をあけていったが、七日たつと渾沌は死んでしまった。 【荘子(岩波文庫)】より
混乱を抜け出し、混沌とした中からも、何かしら新しい力を生み出していく。
自分にできることは、とても限られていますが、そうした気持ちを忘れずに、今年も一歩一歩進んで行けたらと思います。
本年もよろしくお願いいたします。
我が家恒例・年末忘年会旅行、2011年は、帰省の折、実家の母を連れて、地元の鹿教湯温泉に行きました。
(母の住まいから車で30分。旅行というには近過ぎ?!)
そこで偶然出くわしたアルクマ君。
カメラを向けたら、こんな風にドヤ顔ポーズを決めてくれました(笑)。
鹿教湯温泉では、ただいま、氷灯ろう夢祈願が行われていて、アルクマ君も、そのPRで訪れていたようです(^-^)♪
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