『ファインティング寿限無』
落語とボクシングの融合?
寿限無、早口言葉の競技会?
答えは・・・
落語家の書いた、小説のタイトルです。
”立川談四楼”
とあるコラムの連載で知りました。
初めて読んだ時から、随分文章の上手い人だなと思い、興味を持って調べてみると、落語家としての知名度はそこそこなれど(すみません:汗。入門は1970年。)、いくつもの著書を持っている文筆家でもあるとわかり、早速読んでみることに。
一冊読んでみると、これがなかなか面白く、また一冊、と進めていくうちに、いわゆるノウハウものを除いて、小説・エッセイのほとんどを読んでしまいました。
※『師匠!』『一回こっくり』『シャレのち曇り』『寿限無のささやき』『石油ポンプの女』『どうせ曲がった人生さ』『新・大人の粋』などなど。
その多くは、ご自身の”落語家人生のドキュメント色の濃い内容”ではありますが、文章の組み立てやテンポがとても心地よく、さすがは噺家、という印象です(噺家だから、文章がうまい、ということは必ずしも言えないと思いますが)。
そんな中で、この『ファイティング寿限無』は、フィクションでありながら、ボクシングの取材もかなりきっちりやられていて、とても力強く、ぐいぐいと引き込まれていく一冊でした。
私は、ボクシングについては、全くの素人ですし、触れる機会もありませんが、それでも、一つの読み物として、とてもよくできていると思います。
そう思った理由の一つには、この小説を、”談志さんが亡くなった後に読んだ”、ということが大きく関係しているのかもしれません。
ボクシングのみならず、落語そのものにも疎い私ですが、なぜか”落語家”の人生にはとても興味があって、”落語家の世界”を垣間見る読み物は、よく手にします。
この談四楼さん、”立川流立ち上げ(=談志一派が落語協会を飛び出す)”のきっかけとなった一件の、需要人物なのですね(^-^)b
ご自身でも著書の中で、度々語られているように、そのことが大きなコンプレックスとなり、それがまた”書く”ということの原動力にも繋がっているのだと思います。
談志さんに、落語についてはほめられたことがないけれど、書いたものについては、”まぁまぁ読める”というようなことを言われ、それが大きな支えになっているのだとか。
先日、談志さんが亡くなった折、テレビで一度だけこの方の語っている姿を観ましたが(生・談四楼♪)、想像していたよりも軽快な、いわゆる落語家風情で、なんだかちょっとほっとしました(もっとおっかない人かと思っていた:汗)。
弟子として入門する人は、みな、その師匠に惚れ込んでのこと、というのは、大前提だと思いますが、談四楼さんの惚れ込み具合は、半端ない!
いずれにしても、落語(家)の世界は、摩訶不思議。
決して足を踏み入れたくはないけれど(?)、こっそり覗いてみることは、”人間”を知る、とっかかりの一つには、きっとなるような気がします。
お時間ありましたら、ぜひ(^-^)♪
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