歌を始めたきっかけ。
今日は、父の命日。
早いもので、父が他界して、九年が経ちました。
月日は着々と流れて行きますね~。
ライブ活動をしていると、時々、”どうして、弾き語りを始めたのですか?”という質問を受けることがあります。
そりゃそうですよね。
四十路から五十路にかけ、七転八倒、何が目的でこんなことをやっているのか・・・。
もちろん、熟女アイドルを目指しているわけでもなく(。・・。) 、武道館を狙っているわけでもないのですが・・・(o-_-o)
実際、なんとなく・・・気づいたら人前で、汗をかきかき歌っていた。
そんな感じに他ならないのです。
でも、遡ると、やっぱり”父の死”が、大きなきっかけの一つであった、と言うことができると思います。
まだ、今より九つ若かった私にとって、肉親の死というものは、なかなか受け入れられない現実だったこともあり、余命わずかとなった父を前に、伝えきれなかったあれこれを、どうやって、自分の中で処理したらいいのか。
悶々と思い悩むうち、突如思い立ったのが、”歌を作ろう”ということでした。
私は、それまでの人生(?)、”音楽”に対する興味も欲求も、極めて平凡な域を出ず、カラオケさえも、仕事絡み以外ではほとんど行かない、どちらかというと、音楽とは接点の少ない毎日でした。
なのでどうして、そう思ったのか?
今となってはわかりません(汗)。
当然のことながら、歌を作ると思い立ったところで、全くの手さぐり。
その時は、無我夢中、思いつくまま、浮かぶままに、言葉とメロディーを形にしたのでしょう。
それが証拠に、今になって、その時作った歌詞を読み返してみると・・・
我ながら・・・
なんじゃこりゃ~(@0@)!!!
どしたんじゃこりゃ~(@□@)!
・・・というくらいに、超・こっぱずかしい内容のものなのであります(激恥)。
若いって、青いって、時に残酷ですね(--)。
永久お蔵入りは言わずもがな(--)。
まぁ、でも、その当時の私には、きっとそれが精一杯の形だったのだと思います。
・・・と。
これで終わるはずだった、その歌作りが、その後なぜに、数を重ね、ましてやピアノを弾きつつ人前で歌うことになったのか。
何かしら、見えない力に引っ張ってもらった、という感じもありますが、突き詰めれば、潜在的に、歌うことが好きだった、父への曲を作ったことで、自分の中に、音楽にしたい思いが、まだまだあることに気付いた、ということなのでしょう。
いずれにしても、3月になるといつも、自分がこのライブ活動を始めた最初の一歩。
藤沢クラジャ・フリーライブ、衝撃の弾き語りデビューを思い出し、いまだに冷や汗が出てきてしまう私です(※父の死から一年後の三月のことでした)。
本当、あの怖いもの知らずのパワーは、いったい何だったんだろう・・・(ーー)
片道二時間、季節外れの雪舞う午後。
クラジャのマスターも、何やら悲壮な決意に満ちた主婦が、単身お店に乗り込み、きっと恐れおののいていたことでしょう(笑)。
でも、あの一日があったからこそ、今に繋がっているんですよね。
久しぶりの亡き父の話題。
父ちゃん、あっちで恥ずかしがっているかもな~(^-^)
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