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2013年3月18日

『桜』

東京でも、いよいよ開花しましたね。

我が家の近所では、まだどこもつぼみのままですが、日々着々と、色と力を増しています。

この”桜”という言葉の成り立ちについて、先日読んだ、とある本の中にとても興味深い説が紹介されていました。

中国から来た漢字の”櫻”

この右側の 旁(つくり)(貝・貝・女)には、”まとう、めぐらす、とりまく”、などの意味があるそうで、「サクラの花が、ぐるりと木をとりまいて咲く全体像」から、この漢字ができあがったのだろう、と。

これの対し、和音のサクラ(漢字が伝わる以前)。

日本語の古訓で、サクの音は、”裂・割”など、「二つに分かれる」という意味を持ち、”ラ”は、おそらく、”野良”などと同様、口調を整える、あるいはその状態を表すもので、サクラの意味は、”サク”にあるのだと。

つまりは、桜を見て、”サクラ”と発音していた古代の日本人たちは、木の総体より、散った桜の花びらのひとつを掌にのせて、その先端をみつめ、見入っていたのだろう・・・。

なるほど〜。

この日本人の性質、自然のディテールを愛でる感性は、古くから日本人に備わっていたもので、こと、”森林の文化”に大きくかかわるものなのだとか。

ここからも、まだまだおもしろいお話があるのですが、続きは、赤瀬川原平さんの『千利休 無言の前衛』をご覧ください(笑)。

確かに私自身、家で育てている植物たち、葉っぱの一枚一枚、新芽のひとつひとつ、気になって気になって仕方がない。

というか、かわいくてかわいくて仕方がない(危×危)。

朝に夕に、眼鏡を鼻先に下ろしては(焦点合わないっ)、じっくりガン見するわが姿を思うと、これは非常に納得できる説!という気がします。(とてもひとさまにはお見せできない姿ですが:汗)

・・・と。

前置きがすっかり長くなってしまいましたが、昨年のちょうど桜が満開の頃。

私の耳の中は、かなーり凄まじい音の嵐に見舞われておりましたが、そんな中、ひょっこりと出来上がった曲があります。

ピアノも弾けない、うたも歌えない。

・・・でも、言葉とメロデイーは、ごく自然に生まれて来ました。

そしてその曲のタイトルに、迷うことなく『桜』とつけました(いつものことながら、なんのひねりもありません(笑))。

あれほどきつい状態の頭の中で曲が生まれたことは、今になると自分でもとても不思議ですが、多分、そんな異常時だったからこそ、心の奥底にあった、何かしらの思いが、形になって表れたのでしょうね。

今年の桜の満開には間に合いませんが、もう一息、体調が落ち着いた折りには、是非また歌いたいなあ。

願わくは、うたの内容はこの際置いて、ピンク盛り盛り、桜の妖精の被り物で?(西行もびっくり^-^;!)

楽しみだな〜♪

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