言葉とコトバ。
大好きな”柴犬チコちゃんのブログ”が無期限のお休みに入って、1年と4か月。
その間に、チコちゃんは、ママの腕から、静かに虹の向こうへと旅立ちました。(※その折の詳細は、『柴犬のチコ。』2015・4・1の記事「ご報告」に記されています。)
そして先日のこと。
チコママさんが、長いお休みを経て、たくさんの想いを胸に、再びブログを立ち上げることに!
チコママさん、大丈夫かな?
体調も、気持ちも、まだ万全ではないのでは?
・・・・・・
でも!!
・・・・・・
みんな待っていたのですね。
この1年4か月、それぞれの暮らしの中で、チコちゃんとチコママさんを気に掛け、案じていたのですね。(私も、家事の合間にチコチコカレンダーを眺めては、元気にしているかな、と心の中で福岡に向けて手を振っていました。)
日々成長していくチコちゃんの姿は、新たなブログにはないけれど、以前と変わらず、いや、以前にも増して、数多くのファンのみなさんが、心いっぱいの温かいコメントを残していく。
ブログを包む雰囲気は、チコちゃんの旅立つ前も後も、不思議なくらい何も変わっていないのです。
こんな形もあるんだな。
こんな繋がり方もあるのですね。
人それぞれ、悲しみや苦しみ(もちろん喜びも)の色彩は違っていても、”言葉”を通じて、共有できるものがある。
チコママさん自身が、チコちゃんとの出来事を経験されたからこそ、生まれ出る言葉たち。
そこに触れることで、いつの間にか心の中で持て余し、整理をつけられずにいた感情が一旦大きく溢れ出し、流れ出し。
そしてふたたび、確かめるように、慈しむように、それらを手繰り寄せることで、自らの内面を、少しだけ遠くから眺められるようになる。
ちょっと大げさな言い方になるかもしれないけれど、それはある種の”救い”のようなものだと思うのです。
さる哲学者がどこかに書いていました。
”言葉”とは、必ずしも言語の”言葉”だけではなく、時に小さな草花や、写真や、絵画や音楽や、なんでもない青空や風の匂いであったりする。
それを言語の”言葉”とは分けて 仮に”コトバ” と表現する。
私たちは、日々、“言葉”や”コトバ”に触れることで、自分の気持ちを、知らず知らず立て直したり、癒したり、奮い立たせたりしているものなのでしょうね。
チコママさんの新しいブログ(『PECOいぬ部byチコママ』)が、これからも末永く、楽しく豊かなものであるように、私も多摩の片隅から、こっそりひっそり、しかしながら全力で(@-@)、バリバリ応援して行きます!!
チコちゃん。
ママをこれからもどうかよろしくお願いします。
そして時々は、虹の向こうのフレグランスを、私たちにもプリプリっと届けてね♪
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